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ふくしま復興塾卒業生が語る、「人としてすこやかに生きる」ものづくりの価値観(株式会社IIE 谷津拓郎さん)

谷津拓郎

1986年会津坂下町生まれ。会津木綿を中心に会津の伝統素材を使って商品を製作・販売するブランドIIE(イー)の代表。高校卒業後に新潟大学工学部建設学科に進学。後に早稲田大学大学院環境エネルギー研究科に進み卒業。大学院在学中に、東日本大震災が発生し、震災後の一ヶ月間、炊き出しボランティアの運営に尽力。その後、特定非営利活動法人まちづくり喜多方にて、コミュニティカフェろくさい管理人を2012年3月まで務める。2011年末から会津木綿を用いた商品を仮設住宅のお母さんの手仕事で生産し販売していくIIEを立ち上げ、代表を務める。後悔のない人生を信条としている。ふくしま復興塾第一期・第二期生。

2015年6月21日(日)に行われた、「ふくしま復興塾第3期募集説明会 -伝統工芸品の生産者へのフィールドワーク-」の説明会で行われたプレゼンテーションを掲載します。 

【目次】

■「何もすることが無い」「地元でおしゃれなものがない」という声から生まれた会社 -IIEの会社概要- 

■311をひっくり返す -IIEのビジョン-

■人として健やかに中庸を目指す生き方 -IIEのこれから-

■地元の役割を担うことが街づくりになる -質疑応答-

 

 

「何もすることが無い」「地元でおしゃれなものがない」という声から生まれた会社 -IIEの会社概要-

皆さんこんにちは。IIEの谷津と申します。1986年会津坂下町生まれで、新潟大学卒業後は早稲田大学の大学院へ進学しました。大学院の時に震災が起こって、会津でボランティア活動をし、2011年4月にコミュニティカフェを運営しました。その中でIIEの活動を開始して、2013年3月に株式会社を設立しました。

震災は会社設立のきっかけとしてありました。震災当時、僕の母校も避難所になって、避難区域である大熊町などから来た人が避難して来ておりましたが、そこで炊き出しのボランティアを3月15日から始めました。当時の想いとして、「自分だけ何事もなかったかのように、すぐに日常生活に戻るのが嫌だった」という気持ちがあり、活動をしていました。

母校の避難所の様子

会津は被害もそれ程なくて、みんな普通に生活できている、そんな中2つの言葉に出会いました。1つ目は「何もすることが無いのがつらい」-会津で避難生活をされている女性の言葉-という言葉です。仕事がなく、当時は雇用保険がでていたので、働くとお金もらえないということもありまして、働く必要がない、というか働けない状況でした。2つ目は「地元のものでおしゃれなものがない」-新しく雑貨屋を始める女性の言葉-という言葉で、これを合わせたらいいのではないかということで、IIEの事業を始めました。

「会津木綿ものづくり」×「仮設住宅でのしごとづくり」=IIE

会津木綿とは、福島県の会津地方で生産されている伝統ある素材で400年の歴史があります。1627年(寛永4)に会津藩主加藤嘉明が、伊予松山(愛媛県)から織師を招いて伝習されたもので、厚地で丈夫であり、保温性・保湿性に優れているのが特徴です。会津坂下町には青木地区という、元々青木木綿と呼ばれる会津の木綿産業が栄えていた歴史のある地域があります。水害に強い藍を育てていた地域で2軒の会津木綿工場がありました。2013年に放映された大河ドラマ「八重の桜」にも衣裳として会津木綿が使われていました。

 

商品はストールなどを取り扱っております。

 

 

 

 

311をひっくり返す-IIEのビジョン-

次にビジョンですが、IIEには「311をひっくり返す」という意味があります。311をひっくり返すとIIEになります。元々の意味としては震災という悲しいことがあったけれども何とか乗り越えて新しい価値を生んでいきたいということ。もう一つは、この土地で生まれた子ども達が、戻って来たいと思い、戻って来れる地域にするという想いが込められています。これは元々起業したいと漠然と思っていた時代から思っていたことです。

「次の世代に繋ぐものづくり」をテーマに、地域に伝わる素材や技術を使い、作る人・使う人・自分たちが幸せになる「ものづくり」をつくっていく。ものを作った先にこうした全体的な幸せがあればと考えています。

ターゲットとして、1つは丁寧な暮らしを実現したいと考えている会津の40歳前後の女性です。もちろん、東京での売り上げが大きいのですが、まずは会津の目に見える女性をイメージしてターゲットとしています。2つ目として、原発事故による避難など、様々な事情によりフルタイムの勤務が難しい女性をサブターゲットとして、重なる部分をIIEが行い、会津木綿で作ったストールや会津木綿のご祝儀袋などをメインにして、他に会津木綿のプロデュースも行い、こんなものがあったらいいなという商品を1つずつ実現しています。

今は主にネットショップに力を入れて直売の方法をとっています。会社の経営を考えると利益率も高く、自分たちのお客さんがちゃんといらっしゃるというのが強いということでネットショップに力を入れています。

世界で大流行のけん玉を、人気クリエイターと東北地方で活動する工房がコラボレートして手がける「KENDAMA TOHOKU」プロジェクトにも昨年に引き続き今年も参加いたしました。他にも色々とコラボレーションさせて頂きました。(下記、画像参照)

KENDAMA TOHOKUとのコラボレーション

URBAN RESEARCH DOORSとSMELLYとのコラボレーション

無印良品ネットストアでの販売

 d47 musium デザイン物産への出展

展示会へ出展

受賞歴は下記の通りです。

 

 

人として健やかに中庸を目指す生き方-IIEのこれから-

今日は昨年12月の復興塾最終発表会時点のパワーポイントを使っていますが、今はもう少し考えがまとまったと感じております。「身近な選択にこだわりと責任を持ちささやかだけど大切な変化を生み出していくこと」「社会を変える唯一の方法は自分自身が変わっていくこと」「変化の必要性は感じながらも自分自身の今の暮らしを失いたくはない」。

ポスト311の価値観としては、「人と人との健やかなつながり」「時間軸における人と人との健やかなつながり」「自然と暮らしの健やかなつながり」「自分自身で自分たちで考えること」などが挙げられますが、もう少し現在はまとまってきています。IIEは価値観の会社だと思っていますが、IIEの価値観で人々に幸せを届けるものを創っていく製造と、それを自社で提案していくネットショップと合わせた製造小売業の形でやっていこうと考えております。IIEの価値観とは、まず「人として、すこやかに生きる」こと。大量生産ではなくて中量生産というか、ちょうどいい豊かさでずっと続いていくものを作っていきたいと思っています。

 

2年前にふくしま復興塾でウクライナへ行ったのですが、その際に「お前らは(過去の歴史から)学んでないのか」と言われるかと思って行きました。ですがその時に言われたことは、「あるもの(原子力発電所)は動かしたほうがいい」ということ。あるものはちゃんと発電すれば、お金を稼いで人を雇えます。発電を停めてしまうとお金を稼げないのでただ負担になってしまいます。そうなると人を配置することが難しくなってしまいます。何かあった時に対応出来なくなってしまう可能性があります。稼働させて、そこに人を付けて管理していく。ただし、新しいものは絶対に作ってはいけない。というお話を聞きました。

当時の僕としては考えたことがなかった考えで、メディアで言えば「何を言っているのか」と言われそうなのですが、テーゼがあってアンチテーゼがあり、二項対立する問題があるときに、どちらかだけでは無く、先ほどの意見は間をとって考えているなと思います。それが中庸というもので、僕たちは全然そこまでには到達していないなと思っていて、その辺りのちょうどよいところを考えていきたいです。

今は人として「健やかに生きる」という話をいたしました。次は人間として、僕は人としてと人間としてを別に考えているのですが、人と人の集まりの中で次の世代にいいものをちゃんと残していかないといけないと考えております。その上で素敵なアイテムを僕たちが考えて発信していきたいです。「人間として、より良い社会を次の世代に届けること」その為に、メイン商品としてストールを販売しています。

一つ一つ手作業で結んでいく

ミシンだと使えない人には難しいんですね。誰でもできて、将来避難先から例えば楢葉町などに戻ったとしてもできるように考えました。

会津木綿のルーツになった松阪木綿とのコラボレーション

渡した後にハンカチとして使えるご祝儀袋

ブランドポリシーとして「かわいい、かっこいい、きれい、素敵」「機能的に満たされていること」「作り手、売り手、使い手が三方良しの関係であること」「歴史文化の流れを汲みつつ新しいこと」「使い手とそのまわりの関係性が健やかになる仕掛けを施すこと」「自分たちが作る理由があり 自分たちにしか作れないもの」を意識しています。

そして、まずは会津から「あの日からの悲しみや苦しみを乗り越えて震災があったからこそ生まれることができる新しい価値を生み出していきたい」と考えています。

 

 

地元の役割を担うことが街づくりになる-質疑応答-

Qデザインは一人のかたがしているのですが?

A:社内のメンバーで行っています。会津木綿のご祝儀袋のデザインは外部のデザイナーさんにしてもらっています。ロゴも大文字と小文字のバージョンがあるので、将来的には統一したいと思っています。

話は変わりますが、こうありたい会社像として100年続く会社、シェルター的な会社を目指しています。ここにくれば食料がある、という形で、社員や家族、地域の人が安心して働けるように、水や電源を自給できるような仕組みが将来的にできればと思っています。会社は国の力が弱まると、そういう形になっていくのではと思っています。

 

Q価値観や方向性を決める際にやりやすい方法があればお聞きしたいです。

A :復興塾を2年やって感じたことは、ちゃんと会社の進化の経緯をわかるようにしておければ良いのかなと思います。後は、期限を決めること。何月までの段階で自分のべストなビジョンはこれなので、次は何月まで見直さないという形で、ずっと迷っていてはだめだと思います。僕が迷ってしまうタイプなので、自戒になります。こういうものをまとめるのは苦手なので逆に教えて欲しいくらいです。

現在は8人のメンバーでやっています。家業から企業へ移り変わる時、いろいろな問題が表出してきます。この時期に特ににこうした共有とかコミュニケーションは必要になるのかと思います。とにかくずっと悩んでいるのが一番だめだと思います。自戒の意味を込めて。

 

Q大学生の頃にやりたかったことは今やりたかったことなんでしょうか?

A:違いますね。私はものを作りたかった人ではありませんでした。学生時代は街づくり、地域活性化を学んでいて、「会津坂下町のグリーンツーリズム」が僕の卒業論文で、修士論文は「農業サークル」についてでした。大学の時はただ地元に帰りたいという気持ちでした。大学院の時は面白い人に会いたいなという気持ちに移行していきました。

今日の話には街づくりや地域活性化のことは入っていません。そんなこと言えないなという気持ちがあります。僕の地元はここ(会津坂下町)なので、やはり地元をコンサルやプロデュースはできないんです。一住民として、僕は仕事をして、消防団にも入って、運動会の係をしています。地域の中で担い手がいないので、外からコンサルのように関わるのではなく、主体として今ある仕事をやっていくことが地元の街づくりになるのだと思います。

自分はプレイヤーだと思っています。初めは中間支援や応援したい側だったのですが。震災がなかったら僕は地元の「仕事作り」をしたいと考えていたので大筋は同じなのかなと思っています。本当は色々な先進地域を歩いて、働いて経験積もうと思っていたのですが、時間が早まったという感じです。

 

 Q:ホームページに「作り手と使い手が幸せになる」とありますが、そんなエピソードあればお願いいたします。

A:まずは続けていくことが大切だと思っています。社会的に良いことをしていも、GoogleやYahoo!など大手企業が余力で復興デパートメントや、Googleマップで被災地を写したりしているのには勝てないという悩みはあります。そんな中でバイトやパートさんで僕らの業種が変わったとしても今後も働きたいと言ってくださるかたもいて、IIEのスタンスに共感してくれているのはありがたいです。そういう姿勢を持って僕らが事業をして、会社をもっと大きくしていけばと思っています。なのでまずは会社を伸ばしていこうと思います。

幸せについては、僕らが他人の幸せをどうこうしたいと思うのではなく、一人一人がどう幸せになっていくかが大切かなと思っているので、正直できることはあまりありません。ですが先日、社員と僕と作り手さんで気仙沼に一緒に結婚式へ行ったことがあり、それは一つの成果だったのかなと思います。一緒に幸せを分かち合える感じになってきているのはありがたいことです。

 

Q復興塾の成果などありましたらお願いいたします。

A繋がりときっかけになったのが大きいです。あの頃考えていたことが今どうなっているか振り返ったり、あいつはどれくらいやっているかとお互いに共有できるので、良いと思います。メンターに会う度にドキドキはしますね。僕はあれから進んでいるかなと思ってしまうので、堂々と「進んでいる」と言える自分になりたいです。

また、応援してくれている仲間がすぐ近くにいるというのはありがたいです。プログラムも勉強になりますし、親の愛と言いますか、復興塾の先輩達の愛を受けて僕たちはやれていると思います。

 

※はじめっぺ直売所では季節に応じて様々な福島県産品を販売しております。

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