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ただの子ども好きで始めた保育所の活動が周囲の共感を呼んで株式会社に。「大事なことは、いかに人と共感し、共感してもらうか、ということに尽きます」(株式会社ピーエイケア 代表取締役 上國料 竜太さん)

株式会社ピーエイケア 代表取締役

上國料 竜太

鹿児島県出身。大学進学が福島来県のきっかけになる。卒業後、東京で働いたこともあったが、最終的に福島に戻り、サラリーマンをしながら保育園を立ち上げる。東日本大震災後の2011年7月に移動保育プロジェクトを設立。2015年3月に株式会社ピーエイケア代表取締役就任。共感をベースに活動されている。

 

【目次】

Episode 1
福島に来たきっかけ、保育所を始めるまで ~やりがいを探して~

特に志すものがなく、親元を離れたいというだけの理由で福島の大学に進学。卒業後は職を転々としながらも直接子どもと関われる保育所が「心の拠り所」になる。

 

Episode 2
震災後、保育所に来るお母さんたちは毎日泣いていました

震災直後は仕事よりも、自分の子どものためにどうすればよいのか悩む。そんな中、保育所には子どもたち、お母さんたちがやってくる。特に、お母さんたちは泣きながらやってきた。それを見て、「ああ、みんなが困っているんだよな」と思うようになる。

 

Episode 3
大事だと思っていることは、いかに人と共感し、共感してもらうか、ということに尽きます。

色々な経験をし、人と共感し合ったり支え合ったりして生きることに喜びを感じるようになる。会社はチームでしかできない。だからこそ、共感がないといけない。

 


 

福島に来たきっかけ、保育所を始めるまで ~やりがいを探して~

にこやかな顔の上國料さん

出身は鹿児島ですが、大学進学当時、親元を離れたいというだけの理由で福島の大学に来てしまいました。それで特に志もないから、好きな機械いじりとかそういうことを大学ではやっていて、卒業の時も就活をしないでふらっと東京に行ってしまった。その頃は何も考えていなかったから、今度はデザイナーになろうとデザイン会社の門を叩いて就職し、関東にいること5~6年。それからまた20代後半ぐらいに福島に帰ってきて、でもやっぱり志がなく、もうフリーターみたいな状況でした。でも仕事につかないといけないと思ってサラリーマンになりました。ネクタイを締めて決まった時間に出社して、というのがなんだか窮屈で。だからといって自分に何かできるとは思っていなかったけれど、ただ、お金のためとかビジネスとかいうよりも、自分のやりがいを、生活のための仕事場とは別に何か欲しいな、と思っていました。

それで始めたのが、民間の保育所です。その頃は、朝、保育所に行ってスタッフと打ち合わせをし、その後で会社に出勤、会社勤めを終えたら夕方また保育所に戻って経理などをわーっとやって帰る、というようなことをずっとやっていました。保育所がけっこう順調に進んで、じゃあ独立しよう、保育所の方でもう食っていこうと思ってサラリーマンを辞めたのが、震災の前の年のこと。そこからやっとやりたいことに専念することができるようになったという感じでした。

最初は仕事というよりも、自分の心の拠り所が欲しいという感じでした。直接子どもと関われるようなことを探していて、そのうちの一つが保育所だったというのが保育所を始めることにした理由です。子どもが絡むというところにこだわったのは、当時はもう単純に子どもが好きだったからでした。今は色々な意味で勉強になるな、学ぶことも多いな、と感じますが、当時はあまり深い意味もなく単純に子どもが好きなだけで、子育て経験も保育所の経営経験もない中でのスタートでした。

 

 

震災後、保育所に来るお母さんたちは毎日泣いていました

震災直後は、仕事とか保育所云々というよりも、「自分の子どもをどうしよう」っていう、もう正直それしかありませんでした。でも、自分の子どものためにどうすればよいのかと考えている中でも、毎日保育所はやっているから、子どもたち、お母さんたちがやってくる。毎日お母さんたちは泣きながらやってきていました。それで、結局うちで抱えていることは保育所の子どもたちみんな一緒なんだよな、ああみんなが困っているんだよな、と、個人がどうにかするというところから周りに目が向き始めました。自分の子どものことを強く考えながらも、常に並行して保育所の子どもたちのことも考えている、そんな状況でした。

震災後は子どもたちに外遊びをさせなくなってしまいました。そこから県内の子どもたち全体に向けて外遊び支援の活動をするNPOを始めました。「保育所の宣伝活動でしょ」と言われたり、「福島に子どもをとどめようとするなんてとんでもない」と言われたり、そういう状況の中で始まりはスロースタートでした。

保育所に来るお母さんたちは毎日泣いていましたが、それは「福島にいるだけで悪」みたいな風潮があったことや、目に見えない放射能の誰にもわからない不安、先が見えない不安、それから県外に避難したとしたら新天地での生活に対する不安、両方の不安を天秤にかけての悩みなどがあってのことでした。保育所に来ていたお母さんたちは避難していないから来ていたわけで、自分の判断で福島に残っているということ、それは「子どもたちを被曝させているとんでもないことだ」みたいに当時は言われることもあったんです。つまり自分の判断で子どもに24時間被曝をさせているという負い目があった。それに、当時の子どもたちは「触るな」、「座るな」、「部屋の真ん中にいなさい」、という風に24時間がんじがらめ。このようなお母さんたち、それに子どもたちのメンタルケアを目的に(子どもに外遊びの機会を提供する)NPOの活動を始めました。

当時はあまり良く言われないこともありましたが、それでも自分は必要だと思っていたし、自分たちが始めた活動がインフラ化して定期的な活動になれば、自分の休みの時しか外遊びに連れて行ってあげられない子どもたちも定期的に利用できると思っていて、それが原動力になっていました。当時、発信することが大事だと思っていて、切り口は色々あったけれど、起こったことをとやかく言ってもしょうがない。だから、自分たちはこういう活動をやりました、そのおかげでこんなに笑顔が増えました、と良かったと思う結果に徹底的に焦点を当てて発信し続け、だんだんと理解、支援していただけるようになりました。結果、定期的に寄付をしていただけるようになり、活動が持続できるようになりました。

保育所を始めた頃は何も考えていなくてただ単に子供が好きでやっていたのだけど、やっている中で色々な紆余曲折があり、小さな頃からの子どもを取り巻く環境がものすごく大事だと思うようになりました。その環境づくりがしたい、生涯をかけてその環境づくりをやりたいということに気づきました。子どもにとって最適な環境というのには、周りの人の接し方などソフト面も含まれていて、そういうことも大事にしたいと思っています。

 

 

大事だと思っていることは、いかに人と共感し、共感してもらうか、ということに尽きます。

真剣な表情でインタビューに応じる上國料さん

NPOの始まりは、自分が「こういうことをやりたいんだ」って言っていたら、「ああ、自分もそういうことを思っていたんだよ」っていう人が集まって来た、という感じです。集まった人の中で、「じゃあ、あなたは何ができるの?」「資金調達だったらできるよ」「ウェブで宣伝だったらやるよ」「書類作るのは得意だから、申請関係やるよ」というように組織化していって、NPOが成り立っていきました。NPOから株式会社に、というのも同じような感じで、ボランティアの塊みたいだったところから、NPOで知り合った人たちどうしで色々なところにネットワークがつながって、「じゃあちゃんと継続する事業としてやらなきゃいけないよね」という話になったり、「身を削ってお金を出すから、自分はノウハウはわからないけれどやってほしい」といってくれる人がいたり。そうやってネットワークがつながっていっている感じだから、こうボンっと柱を据えてやっている、というよりも、ネットワークとかその時々の流れに身を任せるスタンスでやっています。

自分じゃできないことばっかりだと思っています。全部1人じゃできない。移動保育でも、車がないと言ったら寄付していただき、管理場所がないと言ったら事務所の一画を使わせていただき、と繋がってきています。だからNPOの立ち上げのときにガラッと価値観が変わりました。それまでは、論理的に物事をやっていけば自分の思い通りになると勘違いしちゃっていた。色々な勉強をして色々頭に詰め込んだつもりだったし、ダブルワークの頃はそれを活かして保育所をやっていたから。でもNPO立ち上げのときに、論理的にやっても逆に理解してもらえなかったり上手くいかなかったり、となって、「もう理論もくそもない、ただもうやらなきゃ」という思いでやっていたら、今度はみんなそれに共感してくれた。論理的な部分ももちろん大事なのだけど、それ以上に人の感情って大事だよな、と最近は思っていて、そういうところを重視するように変わりました。やりたいことは明確にしてみんなに伝えて、できる範囲でできることをひたすらにやり続けて、そこに共感者が現れて、というのを待っている感じです。団体を運営していくためにも人間関係を作るためにも、信頼というのがすごく大事だと思っていますが、その信頼を築くには、共感してもらうことが最初にくるのだろうと思います。

色々な経験をさせていただいて、人と共感し合ったり支え合ったりして生きることに喜びを感じるようになりました。すると結果的に色々なことが上手く回るようになりました。会社はチームでしかできない、だからそこにやっぱり共感がないといけないと思っています。自分の大事にしたい価値観はドンっとあって、その柱の価値観は共感してもらいたい。だけど柱以外の所で色々とアレンジしてもらってよいと思っているし、色々な価値観の人と一緒にやっていって共感してくれる柱の部分を太くしたいと思っています。価値観が加わると、つながりが広がっていく、そこにはやっぱり共感がある。だから大事だと思っていることは、いかに人と共感し、共感してもらうか、ということに尽きます。そしてそのことは今後もぶれない。共感を大事にやっていきたいと思っています。

 

 


 

ピーエイケアの小規模保育施設

ココカラ開成

 ココカラ開成外観

内容 郡山市認可小規模保育施設
対象 6ヶ月~2歳
住所 福島県郡山市開成4-9-17
開所 平成27年12月1日
休日 日曜、祝日、夏季、年末年始
定員 19名

 空き状況など詳しくは、施設にお尋ねください。

施設情報はこちらから

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