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震災で失ったコミュニティをなみえ焼きそばを通じて取り戻す〜仕事は幸福の必要条件〜(合資会社旭屋 鈴木 昭孝さん)

浪江町では学校給食としても食べられていた「なみえ焼きそば」。震災をきっかけに、全国での知名度がアップした。取引先も地域もなくなったけれども、新たな仕事や人との出会いを通じて、「私は元気」と前向きに歩む日々。

鈴木 昭孝(すずき あきたか)
合資会社 旭屋 代表
浪江町出身。日本大学商学部を卒業したあと24歳で家業の製麺会社に入り、27歳のときに2代目として代表社員に就任した。うどんやそば、ラーメンの製造を手掛け、学校や病院、企業、スーパーなどに納入していた。町の名物「なみえ焼そば」の麺を、30年以上に渡って手掛ける。1935年、米穀・製粉・乾麺製造業として浪江駅前権現堂に工場を構え創業した会社である。

B-1グランプリで優勝した浪江町のソウルフード、「なみえ焼きそば」。
福島県の浜通りに位置する浪江町。町民に愛されている「なみえ焼きそば」は、極太麺と濃厚ソースが特徴だ。その歴史は50年以上とも言われる。当時は第一次産業が盛んだったため、労働者の「安く」、「うまく」、「腹もちのよい」食事として考案された。2013年に開催された第8回B-1グランプリで、ゴールドグランプリ(第1位)を獲得。


【目次】
エピソード1 東日本大震災で工場をなくし、地元のコミュニティもなくした中での、ゼロからのスタート。
2013年、震災と原発事故により全町避難を余儀なくされて居場所を転々としたのち、同年、郡山市に拠点を置いて再スタートした。B-1グランプリへの出場やスーパーへの卸業務などを一人で行い、現在は南相馬市に工場も建てた。少しずつではあるが、製造量や売り上げなどの回復を目指している。

エピソード2 日本で初めて「町」として出店したB-1グランプリ。地元で愛されていた「なみえ焼きそば」が全国規模の舞台へ。
今までは「市」の単位でイベントに参加しているところはあったが、浪江町は日本で初めて「町」単位で参加し、見事グランプリに輝いた。

エピソード3 仕事は幸福の必要条件。震災後、何もすることがない中で感じた「社会とのつながり」の大切さ。
「震災のあとは、本当に色々な経験をした。働くことは、人間が幸せになるための必要条件。みんな一生懸命働いている」と鈴木さんは語る。

 

 

 

東日本大震災で工場をなくし、地元のコミュニティもなくした中での、ゼロからのスタート

震災後、私は避難が必要だったため、埼玉県や福島市、郡山市などを転々としました。埼玉県に住む姉のところに、親族や社員とともに避難しました。キッチンやダイニングの床に寝ていましたが、他の人が体育館の床で寝ていることを思えば、家の中で寝られるということは幸せでした。


当時は福島の様子を見るために、埼玉から福島まで200キロくらいの距離を行き来することは当たり前でした。今後仕事をどうするか、社員や友人はどうしているかという情報を集めるために、長距離を通っていました。自分のことだけを考えていると後ろ向きになってしまいますので、仕事や知人のことを考えての移動は、長距離でも苦ではありませんでした。

2010年から参加していたB-1グランプリに、震災があった2011年も参加することになりました。郡山市で倉庫を探し、製造は委託して他県で行い、イベントにも出店しました。他にも、当時は楽天のECサイトで販売し、スーパーにも卸していました。売れ行きは、良いとは言えませんでしたが、朝起きてもすることがない生活はつらいですし、人間がだめになると感じましたので、一人で仕事をしていました。一人で仕事をしたことはなかったのでトラブルばかりでしたが、NPOの力を借りて行ないました。

委託をして他県で商品を作っているのに、放射能についての質問が寄せられました。商品を送り返されたこともありました。大手スーパーからは、パッケージに「がんばろう福島」と書くと売れないことから、「がんばろう東北」にするように指示があるなど、震災当初はプレッシャーを感じることが多くありました。

元々は、学校給食や企業の食堂を中心に、50%の売り上げがありました。
2014年9月から相馬市でも工場を稼働し始めたので、浪江での規模と同じように仕事をしたいと思っております。しかし現状は厳しく、3年間も地元で販売をしていなかったので、市場が変化しています。「昔取り扱っていただいたので、またお願いします」とは言えません。どの業界でもそうですが、特に小さい業界では、自分たちが営業を取ることでバランスが崩れてしまうといけませんし、強いところが勝って弱いところは負けるという構造になってしまってもいけません。
元々取引していた学校や企業は全国にバラバラに移りました。新しい学区の新しい小学校で取り扱っていただくことは難しいと感じます。

今後は、地域の皆様に、学校給食や企業給食等で少しずつ食べていただくことで認知度を上げていきたいです。バザー等のイベントでも食べてもらいたいと思っていますが、家族経営の会社なので、浸透させるまでには時間と労力がかかります。

東日本大震災の前はパートを12名雇い、主に家族で経営しておりました。現在は、仕事があるときだけ来てもらう状態です。しかし、震災前から働いていたパートは主婦であり、夫とともに転居されたため、バラバラに転居してしまいました。

今までは法人をターゲットにしていましたが、今は個人もターゲットにして、ファンを増やしていこうと考えています。震災直後はかわいそうだと思って買ってくださった方も多かったのですが、そうした方々を、これからどのようにファンにしていくかが大切だと思います。


旭屋の麺が使われている「なみえ焼きそば」

 

 

 

日本で初めて「町」として出店したB-1グランプリ。地元で愛されていた「なみえ焼きそば」が全国で知名度を獲得。

B-1グランプリで扱っている麺は、弊社のものです。今までB-1グランプリには「市」の単位で参加しているところが多かったのですが、日本で初めて、浪江町が「町」単位で参加しました。

昔から、「なみえ焼きそば」は、地元の焼きそばとして有名でした。そもそも浪江の焼きそばは、50年以上年前に、安価な食べ物として労働者のために生まれたといわれています。麺が太く、地元の食材を使い豚バラ肉とモヤシが入っていることが特徴です。各食堂の麺の太さが違うところがおもしろい点です。B-1グランプリには、弊社の「とっても太っちょ焼きそば」という麺を使って出場しています。



昔から浪江町で焼きそばを提供していた食堂は全て閉じられ、現在も再開していません。現在は、なみえ焼きそばがブームになったあとに始めた、食堂や居酒屋などはあります。

町おこしのために、地元の大堀相馬焼とコラボレーションをして、なみえ焼きそばを提供しています。「馬九行九(うまくいく)なみえ焼そば」と称して、食べ終わるとお皿に開運成就を意味する九頭の馬が見えるようになります。九頭の馬は左を向いているのですが、これは右に出るものがないとか勝負に勝つという意味があり、縁起が良いといわれています。この焼きそばの右に出るものがないという思いが込められています。

 
なみえ焼きそばと大堀相馬焼のコラボレーション、「馬九行九(うまくいく)」

 

 

 

仕事は幸福の必要条件。震災後、何もすることがない中で感じた「社会とのつながり」の大切さ。

震災後は、本当に色々な経験をしました。現在も状況についていくのに必死で、毎日が三振とホームランの連続です。本当は一歩ずつ着実にビジネスをしていきたいです。家業を継いだ時と、震災後と、2回も創業する経験ができたことは良かったと思っております。普通はなかなか経験できません。後ろ向きに考えていても仕方がないので、前向きに考えるようにしています。

本来なら、地元の小学校や企業、コミュニティの中で順調にビジネスを展開し、2代目としてそれほど苦労せずに過ごしていたのではと思います。しかし、ほとんどの取引先を失ってしまいましたので、新しく取引先を探さなければならなくなり、もちろん大変ではありますが、その分おもしろいと感じています。震災後の人との出会いは劇的なものが多く、お世話になってばかりだと感じています。
 

避難生活の際に感じたことは、朝起きて何もすることがないというのは本当につらいということです。することがないのでお昼まで寝て、テレビを見て、お酒を飲む。新陳代謝も変わってしまいます。その結果、アルコール中毒やうつ病などの病気になった人や、以前とは性格が変わってしまった人もいると聞きました。お金があっても、毎日遊ぶのもつらいです。社会的に必要とされていないというのは、本当に生きがいがなくなってしまうのだと感じました。仕事というものは、幸福に生きるための必要条件です。仕事をしている方が遊びも楽しく感じます。メリハリが大切なのです。被災者は補償金をもらって遊んでいるイメージがあるかと思いますが、実際はみんな一所懸命に仕事をしております。人間はそこまで愚かではありません。

今後もなみえ焼きそばを売り出していきたいと思います。それが町のためでもありますし、やはり対外的にアピールできるものは、なみえ焼きそばしかありません。福島県内でも食べたことがないという人もまだ多いので、需要はあると思います。今後は取り扱うお店を増やしていきたいと考えています。

震災前は地域の学校給食で焼きそばを提供しておりましたので、小さい頃から食べる機会がありました。大人になっても、久しぶりに食べたいという人や、お土産として購入するなどのサイクルがありました。しかし地域がなくなってしまったので、そうしたサイクルもなくなってしまいました。
現在、なみえ焼きそばは、偽物が出回っていることから「浪江焼麺太国(なみえやきそばたいこく)」の認定を受けた飲食店でしか提供できません。この団体は浪江町のメンバーが運営しておりますが、彼らも被災者ですので、事務局としてしっかりとは機能できていない現状があります。町としても町民支援が優先なので、なみえ焼きそばのプロモーションはなかなか進まず、取り扱い店舗も増えていないというのが現状です。

浪江町の商店街のうち、販売関係で再スタートしているところはまだ少ないです。一人でも多くの被災者が立ち上がってほしいと思います。よく「元気ですか」という声をいただきます。「元気です! がんばります!」というのが、私の気持ちです。

 

はじめっぺ直売所では季節に応じて様々な福島県産品を販売しております。

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