対談:クリエイティブディレクター箭内道彦×福島県知事内堀雅夫 〜震災から4年。これからの福島復興とは〜

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2月19日(木)「ふくしまから、はじめよう。サミットin首都圏」で行われた、福島県知事内堀雅雄と、クリエイティブ・ディレクター箭内道彦氏による対談の内容をお届けします。震災から4年、共に走り続けた2人による、ガチの対談をぜひ最後までご覧ください。

【目次】

エピソード1 2人の出会い。共鳴、そして同志へ

箭内:副知事が楽屋に入ってきたって言われて、僕はすごい警戒をしたんですよね。そんな行政の人たちと、口聞くもんかって気持ちが最初あって。

エピソード2 抱える葛藤、変わりゆく福島

知事:やっぱり指定廃棄物の問題だとか、ものすごくその県にとって複雑な思いがあるんですよ。お互いが被害者同士でもあるんで、そういうものはどうするのかっていうんのは、正直葛藤があります。

エピソード3 若者たちは、福島復興の次の役者

知事:若者たちは、福島復興の次の主役なんですよ。今の主役は、やはり我々現役世代なんで、現役世代がしっかり頑張る。

エピソード4 同志を増やすチャレンジ

知事:多くの方々にいろんな意味で共感していただいて、それぞれの立場でできること、例えば「福島県の農産物、たまに買ってみっかな」あるいは、「1年に1回、2年に1回、 福島に旅行に行ってみようかな」あるいは日本橋に福島のアンテナショップがあるんですけど。そこに行って3杯飲んで500円のぐい呑みセットがあるんですけど。「それ飲んでみっかな」でもいんですが。自分にできることをやっていただける、そういう仲間を増やしたい。これが私の今年のチャレンジです。

 

 

2人の出会い。共鳴、そして同志へ

 

知事:ちょっと硬い感じになってません。

 箭内:硬い感じですね。メタルな感じがないですよね。

 知事:へビメタな感じがまだ漂ってないので。少し空気感を変えて行きますか。

 箭内:はい、今日はですね。『福島をずっと見てるTV』って、僕がNHKで月一回ずつ放送している番組のカメラも入ってますんで、その模様が4月の何日かな、わりと最初の頃に流れます。(編集部注:3月8日に放送されました)また、『福島をずっと見てるTV』っていうのは、 2011年の6月から 始まって、内堀さんもよく見てくださっていて。感想を僕にメールで送ってくれたり。

知事:そもそも最初は、そんな番組なかったんですよね。『青春リアル』っていう番組があって、そこをジャックした感じで。

箭内:まあ、間借りですね。ジャックじゃなくて。

知事:間借りですか。そこから始まってましたよね。

箭内:そうですね。今は単独の番組になってますけど。こうやって内堀さんと、ちゃんとこんなとこで喋ったことはないんですよね。こんななんて言っちゃいけない、すばらしいとこですけど。

知事:今日が初めてなんですよね。実は今日も本当は、二人で出てくる前に、打ち合わせするのが、普通だと思うんですけど。一切しないままで出てきてます。

箭内:内堀さんと僕が初めて会ったのが、たぶん2008年だったと思うんですよね。僕が福島の新聞にある広告を制作して、そこに書いたコピーが、『207万人の天才』っていうコピーを書いたんですよ。その頃の福島の人口は207万人いて、でも福島の人って、僕も元々そうだったんですけど。 なにかちょっと遠慮をしたりね。ちょっと殻の破り方が苦手だったりして。自分が持っている天才性を表に出せてないんじゃないか、そんなのもったいないなと思って。207万人の天才、もちろん今は、195万人ですか、ちょっと減ってしまってはいますけど。そんな思いで書いたコピーを内堀さんが、新聞、朝刊をご覧になって、 会いたいって言ってくれてね。その時、その新聞を一緒につくった、山口 隆くんっていう会津若松出身、『猪苗代湖ズ』を僕と一緒にやっている、 ボーカルなんですけど。 二人で『ままどおるズ』っていうコンビをやってて、そのライブの楽屋に内堀さんが訪ねてきてくれたのが最初だったと思います。

知事:私が地元の新聞を見たのは、朝起きて新聞受けに新聞を取りに行ったら、普通の新聞と全く違うものがあったんですよね。その新聞紙の上にこう、パッケージみたいに、大きな紙があって、全体的に淡いブルーの色調だった記憶があるんですけど。

箭内:そうです。猪苗代湖で撮影をした写真です。

知事:ぜんぜん新聞じゃない。別物に化けていて。しかもその写真がですね、焦点が合ってなくて、結構ぼやーんとした感じの写真だったんです。

箭内:僕が撮って、ピンボケしちゃってるものを載せちゃってます。

知事:これはいったい何を伝えようとしているんだと。開いたら『207万人の天才』。これはすごいな。これはいったい誰がやったんですかっていうことを尋ねたら、実は箭内道彦さんっていう人なんだと。で、その時に会いたいなって思ったのが、私の最初のきっかけだったんですね。 

箭内:副知事時代ですよね。副知事が楽屋に会いにきたって言われて、僕はすごい警戒をしたんですよね。そんな行政の人たちと、口聞くもんかって気持ちが最初あって。なんかそういうのって、政治の人と接触するのってロックじゃないなみたいなことも思ってたから。

あんまり、そういう人にペコペコしたくないなって、ちょっと思ってたら。一緒にやってる山口隆君、彼は僕と一回り違うんですけど。彼が「箭内さん、もうちょっと大人になりなよ。ちゃんと訪ねてきてくれる人のことは、 あたたかく迎えねぇと、ダメだぞ」みたいなことを言って。それで内堀さんと会って。話すとやっぱ熱い人で、僕が207万人の天才っていうコピーを書いて、その福島の人たちをもっともっと元気に、当時2008年ですけど。焚きつけたいな、刺激したいなって思ってる時に、内堀さんも、もともと長野のご出身で、福島にやってきて、福島の人の暖かさを感じるけど。もったいなさも感じるってことをおっしゃていて。そこで、共感が生まれてね。

知事:共鳴して。

箭内:その後いろいろ僕がイベントをやると、こっそり見に来てくれたり。なんかそんな関係なんですよね。だから、まさかこの人が県知事になるとは思わなかったし。なってほしいなって思ったときもあったけど、長野にいつか帰って、自分の地元のことをやるんじゃないかなって、勝手に想像してました。

知事:僕の箭内さんの最初の印象って、初めてこの場で、いきなり言っちゃうんですけど。常識的な非常識だなって思って。本質は非常識なんですよ。けれどそこに常識的がつくんですよね。すごく箭内さんて、才能の活かし方が、自分なりのまろやかさ、非常に柔らかさをもっていて、福島の方が震災前、なかなかこうPRがちょっと苦手っていうところがあって、どうやって自分を表現しようかっていう時に、上手くいかない時に、そういう時に箭内さん非常にこう発信する才能というかタレントが上手にやってくれてるっていうのが、私にとってものすごいフィットして、それがぜひ箭内さんの力を、いろんな場面で借りたいなって思ったのが一番のきっかけだったんですね。

箭内:なんか、一番できてなかったのが自分だったので、内側にはいろんな思いがあったんだけど、 中学高校とやっぱり周りの様子をうかがったりね。出る杭は打たれるみたいな、 体験したりしてた中で、若い人たちが、そこをこう上手く突破できる、きっかけをつくってくれたり、あーこういう風なおじさんんもいるんだっていう風に、思うことによって、福島っていろいろ面白いもんだなって、もちろんその時は震災が来る前でしたから。わりとこう無邪気に、まっすぐに思ってたとこですね。だから福島のあんまり好きじゃないとこもありましたし。

知事:昔、福島がこう嫌いだみたいな歌を歌っておられた時がありましたよね。

箭内:そうですね。あの、なんていうんですかね。けっこう、うちの朝ご飯とか、人ん家の悪口言うんですよね。

知事:悪口?

箭内:「隣の家の嫁は気が利かない」とか、「どこのばあちゃんはもう、ぼけた」とかね、そういうなかで、なんで人の悪いとこばっか言ってるのっていうのがすごく嫌だったんだけど。でもね、いろんな人と話していくとどこもそうだよって言われて。

知事:なるほど。

箭内:なんかそんな仲ででしたね。

知事:そんな二人の関係というか、関わりがすごく変わったのが、 やっぱり震災。3.11ですよね。

箭内:そうですね。あの時は、僕は内堀さんと結構メールしてて。

知事:すごかったです。

箭内:猪苗代湖ズで、I  LOVE YOU, I NEED YOU 福島 をレコーディングしますよとか、 そのお金を誰に渡せば一番大切に使ってもらえますかとか。毎日メールしてましたね。3月12からずっとみたいな感じで。内堀さんその時、大熊(町)の?

知事:オフサイトセンターにしばらく行っていて、あのときはちょっと、音信がとれない状態だったんですけど。戻ってきてから、すごく頻繁にメールして、あの時の二人のやり取りはすごかったですよね。熱かったですよね。

箭内:すごかったですね。結局やっぱり、自分自身にこうなんですかね、やってきた不安であったり、なにかしなきゃいけない気持ちであったり、僕にはバンドって仲間がいましたけど、それでも同じ思いを持っている者同士がね。

知事:同じ志って書いて同志ですね。離れたとこで頑張っているってことが、僕はものすごくあの、エネルギー、パワーになりましたね。我々自身もとにかく、あまりにもあの時は課題が多すぎて、危機管理で精いっぱいだったんですよね。そのときに、県民の皆さん元気づけてとかって言ってるとかではなくて、どこにどう逃げたらいいか。弱っている方、 病人の方をどうやって助けたらいいか、そういうこととか、放射能は今どうなっているのか。それをやるのが精いっぱいで、なかなか余裕がなかったんですけど、箭内さんから、 すごくこう、第三者的目線で、メールをもらって、 「ああ、こういうことを今考えてくれてる人 が横にいるんだな」っていうのが、すごく支えになってました。

 

 

抱える葛藤、変わりゆく福島

箭内:あとはやっぱり、内堀さんすごい珍しかったのは、 2代にわたって副知事をして。

知事:そうですね。二期約8年。 

箭内:震災の前から、真っ只中から、その後っていうのをね、全部ちゃんと見てた人だから、つらい思いもしただろうし、悔しい思いもした中で、その人が、県庁からいなくなるのは、僕はもったいないなって、ずっと思っていたので、こういう形で、まさか県知事になるとはご自分も思ってなかったと思うんですけど。  3か月がたって、 どうですか? ものすごく精力的に、今日のイベントもそうですし、動かれてるように見えますけど。

知事:ちょうど就任して3か月になるんですけど一言で言えば、無我夢中。でですね、選挙の時から『現場主義』っていうキーワードを掲げてます。 とにかく福島県内、浜通り、中通り、会津、あちこちに行って、いろんな方に会う。それから、外に行って、例えば東京だったり、京都だったり、福岡だったり、宮城だったり、各県に行って、避難者の方と対談し、知事さんにあったり、いろんな方に会って、とにかく多くの方に会ってですね、今の福島をいろんな意味で伝えて、 少しでも復興を前に進めたい。とにかくそう意味で、日々充実し過ぎている3か月だと思いますね。   

箭内:あと、宮城県知事の村井さんとね、これ台本ないから喋っておきますけども、ニュースで結構お互いがお互いの思いをね、ぶつけあったりとかしてて、いいぞいいぞと思ってみてましたけどね。

知事:今日まったく台本がないので、 今の話もまったく突然なんですけど。やっぱり指定廃棄物の問題とか、ものすごくそれぞれの県にとって複雑な思いがあるんですよ。お互いが被害者同士でもありますので、そういうものはどうするのかっていうのは、正直葛藤があります。福島県内もたくさんそういう葛藤が、あちらこちらにあって、やっぱり3.11前の穏やかだった福島が、あるいは穏やかだった東北が、こんなに大きく変わったんだなっていうのを、改めて、人々と出会いながら感じてますね。 

箭内:そうですね。だから一口に風評であるとか、風化であるとかっていいますけど。その一言だけじゃ片づけられないことたくさんあるし、本当に福島にも200万人近い、そして、今ね、全国に移り住んでいる方も含めると、たくさんの方がいらっしゃるけど。いろんな立場、いろんな思い、その中でそれぞれがそれぞれを尊重し合えるようなね、なんか少し時間はかかりましたけど、だんだんそういう風に僕は、なり始めているんじゃないかなと思って。内堀さんが、 オール福島っていう言葉をよく使われますけど。たぶんそれは、全員が同じ気持ちになれとか、全員が右向けって言ったら右向けってことじゃないけど、 それぞれバラバラな思いを抱えているけど、どうやったら前に進めるだろうっていう。そういう手立てを探して、実行に移すべき時ですよね 

知事:例えば今福島県は192万人から3万人の人口になってます。震災前は202万人でした。 箭内さんがあのキャッチコピー作ってくれたのは、207万人・・・

箭内:それだけ減ってたんですか。

知事:5万人減って、ちょうど 3.11の直前は202万人の県だったんです。ところが今はそこから約10万人減っている。それは、自然の減(げん)もありますし、あと原発事故とか、東日本大震災の結果、減ってしまう部分もあるんですけど。その中で約12万人の方が、避難生活を福島県の内外で送っています。怖いのが、12万人っていう言葉がすごく怖いんですよ。「十二万人」っていうと、漢字で書くと4文字ですよね。なんとなくそのひとくくりで終わっちゃってて。実は「十二万人」じゃなくて一人、 例えば箭内さんもそう、僕もそう、県民の一人一人みなさんそうなんですけど。「一人の人格×12万体」なんですよね。ところが、なんか4文字に圧縮されちゃうと、すごく矮小化された感じになってしまって、 なんか今一つたぶん聞いてる方が実感湧いてないんじゃないかなっていう怖さをいつも感じてます。あと、避難されてる方も大変なんですけど、福島県でそのまま頑張って住み続けている方も、いろんな複雑な思いを持っています。それも180万人っていう数字じゃなくて、一人×180万倍、そういうところがなかなか伝わりきれないなっていうのが、僕の葛藤でありますね。

 

 

若者たちは、福島復興の次の主役

アナウンサー: さて、お二人のお話も深いところに行っているんですが、実はここで新しいことを始めようと、 頑張っている若者からもメッセージをいただいております。VTRをご用意しておりますので、ここでご覧いただきたいと思います。お願いいたします。 

※VTRの紹介(約4分)

箭内:いろいろな若い、若い方々と言いながら、若くない人もいましたけども。やっぱり本当に福島、いろんな話がある中でですけど。一人一人すごく前を向いて頑張っていこうっていう、こういう人たちもたくさんいて。なかなか、自分から手を上げるっていうのがそんなに得意な県民性ではなかった、僕自身がそうでしたけど。 震災の後、時間がたつ中で、若いリーダーたちがね、どんどんどんどんあちこちで生まれてきていることが、僕はとっても心強いなって思いますね。

知事:その通りですよね。今日、今ビデオで流れた映像の他にも、この後、休憩はさんでまた福島の高校生たちが出てきてくれて、すごく素晴らしいプレゼンしてくれます。そういった新しい息吹が、福島のあちこちで生まれていくこと、すごいうれしく思っています。つい先日なんですが、いわきのある商業高校の生徒さんたちが、僕においしいパンを持ってきてくれた。そのパンはなにかっていうと、彼らが半年がかりで開発したパンで、形は、いわきはフラガールで有名なので、ハイビスカスの花の形をしていて、味は、福島の名産の、桃といちご。すごく甘酸っぱくておいしいパンでした。彼らは、商業高校ですよ。農業高校の生徒ではないので、彼らがそういったもの、製品を開発して、それを協力してくれる企業がいて、出来上がったパンは、なかなか売れ行きが良くてですね。予定の販売期間を超えて、延長してまで売れる。こういう1つ1つの若者の活動が、すごく地域を元気にしてくれているなと思いますね。

箭内:そうですね。一方で、福島の若い人たちと話してるとね、みんななんか自分が故郷役に立ちたいって、ちょっと思いすぎなんじゃないかなって心配になるときもあって、大人たちにとってはもちろん希望だし、若者たちは。復興の大きな象徴でもあると思うんですけど。やっぱり、なんか恋をしたり、ふざけたり、喧嘩したりみたいなね、本当にこう、普通の暮らしをしながら、でも将来の夢は、なんか人の役に立つことなんだっていう風に、こう少し肩の荷物をちょっと軽くしてくれたらな、なんて思う時もあります。

知事:若者たちは、福島の復興の次の主役なんですよ。今の主役は、やはり我々現役世代なんで、現役世代がしっかり頑張る。そして、若者たちに我々がバトンを渡す、それまでの間は、箭内さんが言ったみたいに、もちろん福島のこととか、復興のこと考えてもらっていいんだけど。やっぱり青春時代を謳歌して欲しいな、そんな風に思いますね。 

箭内:あと僕が思うのは、最初内堀さん初回あった時警戒してたなんて話をしましたけど、やっぱり震災から今まで、そうですね3年くらいかな、県民と行政の、どうしてもその間にできてしまう溝を、ずっと見てきたし。県民の側は「もっとこうしてほしい」「もっと早くこうして欲しい」「なぜこうならないのか」って思うし。で行政の人たちは、 一人一人と話すと、さっきの12万人って言葉と一緒なんですけど、 一人一人本当に頑張ってて、復興を遅らせようってなんて人は一人もいなくてね。

知事:いないですね。

箭内:すごく、苦労もされているし、胸も痛められている。そんな中で、どういう風にやっていこうかって、頑張っている姿を見ていると。さっきの「オール福島」っていうところと関わってくるんですけど。そろそろ、この県民と行政っていうものが、対立構図だったり、なんとなく向き合うのをちょっと怖がっている関係じゃなくてね。どんな風に力を合わせていけるかななんて、思うタイミングだなっていう風に思って。本当は僕も、あの「金髪が福島県知事と対談して、どういうつもりなんだ」って、そういう風に思う人もいるかもしれないんだけど。必要のない溝は、何とか、その現場にいて、埋めていきたいなっていう風に、すごく思う、今日この頃ですね。外側から、「もっとこうしろ」「それは間違ってるぞ」それももちろんその通り、声のあげ方なんだけど。できるだけ近くに行って、本人に会って、「内堀さんあそこのあれなんですけど、もっとこうした方が素敵ですよ」。そういう風に言えた方が、復興っていうもののね、加速ができるんじゃないかなって僕は思って。自分であまり向いてなさそうな場に出てきてはいるんですけど。内堀さん復興って、どういう風にとらえられてます? どうなったら復興したっていう風に言えるんでしょう?

知事:福島の復興はですね、素直に考えると、東日本大震災、あるいは原子力発電所の事故、そういったものの課題をきちんと克服する、これが1つの大事な復興の姿だと思うんです。それでもう1個大事なのがあって、福島の誇り、プライドを取り戻すことだと思うんです。やはり一般的に、 原子力災害、例えば避難地域、避難地域が解除されて帰れるようになる。こういった復興ももちろん大事なんですけれど。福島県民の一人一人が「福島に生まれて、住んでよがったない」ってこう言える、そのプライドを取り戻す。その戦いでもあると思うんですよね。その両方を同時にやっていかないと、本物の復興にはならないと思います。いろんな意味でまだ葛藤が抱えているので、そういう意味では、少し時間はかかるんですけど、 1つ1つどうやって丁寧に進めるか。これが我々に問われているなって日々感じてます。 

箭内:僕が福島で、いろんなイベントをしたりね、コンサートもしたりするのも、やっぱり一つはその「誇り」っていうものを大切にしたいっていうのがあって。まあ「誇り」ってまで言えるかどうかわかんないけど。福島の人が、「1年の中で今日一番楽しかったよ」って言ってくれるような日を作ることが、次の日からのエネルギーにきっとなるだろうし。あとは、県外の人たちがね、いろんな風に福島のこと思う人はいますけど、「福島にこんな面白いことがあるんだ」「こんな面白い人がいるんだ」「福島出身で、 変な人いっぱいいるね」とかね。なんかそういうことって、僕やっぱり、192万人が一言で言ってはいけないと思いながらも、前を向いて今進もうっていう時にとっても必要なことだと思うし、だから内堀さんにも今日いろいろエールというか、檄を飛ばしたいなと思って来たのは、やっぱり日本で、いい意味でもっと内堀さんが有名になってほしいというかね。内堀さんの発信っていうものを、全国の人が「福島県知事の名前答えてください」って言われて、「内堀雅雄」って言える人数を、嵐の櫻井翔君ぐらいにはしたいなって、したいなって俺がするあれじゃないけど(笑) そうあってほしいなって思うんですよね。みんな、「ああ、あの人福島の知事さんでしょ」って、「あの人、いいことばっかりじゃなくてね、福島でまだまだ進んでいないこと、それをこれからどうしようと考えてるのか、そういうこともちゃんと言ってくれてる人だよね」っていうふうに全国の人が、もちろん世界にもそうなんですけど。そういう知事になって欲しいなと思いますね。

知事:箭内さんから言われたこと、すごい大事なこと言われています。冒頭の挨拶でも言ったんですけど、福島県に今、光と影があるっていう話をしました。4年経って、福島こんなに良くなったんです。これからもこんなに良くなるんです。そういう話ももちろん大事なんだけれど、やっぱり、まだ今でもこういう厳しい部分もあるんです、その光も発信するんだけど、 影も発信する。その両方をしないと、嘘になっちゃうんですよ。かといって、影だけでもないです。さっきの若者たちもそうですけど、ものすごく前に進んで頑張ってくれているものもある。あと、実は逆説的なんですけど、4年経つと結構明るいニュースが増えてきました。光が増えてくる。そうすると何が起こるかっていうと、影が、同じ影なんですけど濃くみえるんですよね。周りの方が、すごくよくなってくると、対照的になって、よりその気持ちが沈んでしまうっていう場面もあって、福島県の中のいろんな溝っていうのが、より深くなる場合も実は正直あります。そういったことも含めて、ありのままに首都圏の方々に今日はそこを発信していきたいと思うし、かつ、今のままじゃ負けてられないので、福島をもっともっとよくしていかなきゃいけないなと思っています。

箭内:そうですよね。もうすぐ4年になりますけど、なんていうのかな、神戸の震災を経験した方と話してる中で、「あれから何年」っていう言い方が、好きじゃないんだよねっていうのを、福島弁で今言っちゃいましたけど、「好きじゃないんや」なんて言うんですかね。「なんかそんなこと、ないんですわ」みたいな感じで言ってて、そうやって区切れるものではもちろんないし、4年経ったっていうことは、いろいろ進んだことももちろんあるし、少しずつ癒えてくる傷っていうのもあるんだけど、傷ついてる時間が積み重なっているともいえるんですよね。だから1年目より2年目より3年目より4年目の方が、傷の重さというかね、そういう方々もまだまだたくさんいらっしゃいますよね。 

知事:実は昨日、ある仮設住宅に伺ってきました。 40人くらいそこで避難されてる方々がいて、まだ避難地域なので、自分の自宅で、帰って当たり前の生活がやっぱりできなんですよね。仮設住宅はですね、やはり狭いんです。住み心地がやはり良くない。本来は、1〜2年住むための仮設なんですが、申し訳ないんですけども、もう4年住んでいただいている。お正月も4回過ごしています。その方と話してまず真っ先に言われるのが、「仮設の生活4年続けてると辛い」。年配の方が多いので、体のあちこちが具合悪い。元の自分の家だと広い家があって。ちょっと古いけど立派な家があって。そして田んぼがあって、畑があって、山に行って山菜とったり、自分で畑作業して採った野菜を朝昼晩食べて。そういう生活が、当たり前だったものが、全部取っ払われて、仮設で、しかも周りにも知らない方もけっこういる中で、3年、4年暮らしている。これ時間が経てば経つほど、ますます苦しくなっていく。それをどう変えていくかっていうのが、 行政でやっていかなくてはいかんなって、改めて思っています。

箭内:あと、楽屋でもちらっと話が出たんですけど、今日会場になってるこの豊洲PIT。PITっていうライブハウスがいわきにもできて、宮城にも、岩手にもできるんですね、なんて話をしていて。3年経って、4年経つっていうタイミングでね。新しい支援の形っていうのがでてきて、さっきも話してた福島県の三春町ってところに、エヴァンゲリオンの制作会社が、福島ガイナックスっていうのを作ってくれたり。なにも復興の支援っていうのは、2011年に一気にみんながやって、息切れしちゃうっていうものであってはいけなくて。先発ピッチャーもいれば、中継ぎをしてくれる人もいて。

知事:繋ぐ人が。

箭内:どんどんこうリレーをされていくべきだなって思うなかで、今年いろんな動きを感じることができて、それはそれでとってもあの素晴らしいなと思いますね。だから10年経ったときに初めて、何か東北ためにやる人が出てきてもいいし。その人がいるから、リレーのタスキが途絶えないんだっていうのもなんか、改めてこの会場で感じました。

知事:そうですよね。あの、PITっていうのは、『Power Into Tohoku力を東北に』っていう意味があるんですけど。まず今は、正直福島も、東北も皆さんから支援をいただいてます。たださっき映像にもあったじゃないですか。「恩返しをしたい。」今度は、いずれ福島から東北からパワーを皆さんにお返しできる、そうしていくのもって復興の一つの形だと思ってるんですよね。

箭内:やっぱりね。僕の周りでも、「福島大丈夫?」「元気になってね」って、すごく活動してくれてるミュージシャンや、いろんな方々がいるんだけど。その人たちのなんていうのかな、 その人たちがそれをやることで、その人たちも元気になってるんだな。だから、行くチャンスやきっかけが減ると、そういう人たちってちょっと元気じゃなくなったりするんですよね。福島県に『おだがいさま』って言葉ありますよね。

知事:ありますね。『おだがいさま』って言葉が。

箭内:県内の人たちだけでも、復興は難しいし、かといって全国の人たちがただ、ただただ思いをね、どんどんどんどん注いでくれるだけでも、立ち行かない部分もあって。福島県民と全国の人たちがどんなふうに手を繋げるかな、手を握り返せるかなっていうところは、とっても大きいとこだななんて。あのTOKIOとか見てるとすごく心強く感じたりするんですよね。

知事:震災が起きて1年目2年目っていうのは、当然、皆さんがすごく一生懸命注目していただいていて、福島も、あるいは宮城県、岩手県もおのずとやっていただけるっていうところがあったと思うんです。けれど3年4年が終わって5年目に入る。そうするとやはり、どうしても時間の経過と共に変わってきます。そうすると今度は、我々自身がきちっと自分たちを発信していかないと状況がわかっていいただけないし、思いが届かない。あと実は日本国内でもこうなんですけど、世界に行くともっとすごいです。極端に言うと、まだ2011年のまま時計の針が止まってるって思われてる外国の方がいるんですね。

箭内:たくさんいらっしゃいますね。

知事:実は海外の方が福島に初めて来られて、福島駅に降りて、大型の観光バスに乗ってこう走っていくじゃないですか。そうすると福島市の道路で、真っ赤なランドセルをさげた小学一年生の女の子が、タタタタって家路を急いでるのを見て、「ああ福島市で普通の生活ができるんだ」って言われるんですよ。そんなの当たり前じゃないですか、って我々は思うんですけど、海外の方からすると、あそこで時計の針が止まっているんだなって。そういう怖さがあって、どうやってきちっと、今の福島を正確に伝えるか。

箭内:そうですね。

知事:国内向けも大事ですし、世界に向かっても発信しないといけない。なかなか難しくて悩んでいます。

 

 

同志を増やすチャレンジ

箭内:そこが一つのチャレンジのポイントだと思います。そろそろまとめに入るんですけど。この、『ふくしまからはじめよう』ってバッヂがあって、 Future From Fukushimaってなってて、県庁の人に、これつけてくださいって言われたんだけど。内堀さんが、「箭内さんつけなくてもいいですよ」って言ってくれて。別につけてもつけなくてもいいんですけど。僕はこの、白い卵に福島の地図が緑で入ってて。これがあんまり好きじゃなくて。すいませんね、ほんとこれ作った人とかきっといるんだろうけど。あんまり好きじゃなくてっていうか、2015年の日本にちょっと似合わないんじゃないかなって思うところがあるんですよね。

知事:なるほど。 

箭内:チャレンジも、もちろん大事だし、続けるべきなんだけど。もう「はじめよう」じゃなくて、「はじまってます」っていう部分が、このバッヂでは、表現できてないんじゃないかなって。目標を掲げますっていう、すいませんこんなとこで、こんな批判して。

知事:いいんです、いいんです。クリエイターですから。

箭内:僕は、これが2011年だったら分かったんだけど、もう卵には去年ヒビ入ってるし、中からなにかすごく面白いことが生まれはじめているのが今の福島。

知事:卵のままじゃないってことですね。

箭内:そうですね。

知事:そういう意味では、時計の針は動いているってことですよね。

箭内:もしかしたらまた違う、違う色の卵が。

知事:新しい卵が。

箭内:産まれているかも知れなくて。だからこの、「卵が結構割れてきたぞ」とか。あのもう「すでにこことここは始まってて、でも、これははじまってないからこうご期待ください今年の秋に」とか。なんかそういうことが、今の福島を伝える時に1つ必要なことで。ちょっとこう、「エイ、エイ、オー!」っていう。元気の前に、そこにリアルな事実みたいなことを。

知事:具体的な、ええ。

箭内:感じたいななんて。ちょっとごめん。これ2011年にはよかったけど、僕勝手になんかデザインして、県庁に持っていこうかななんて思ってます。

知事:箭内さん作のデザインをぜひ。素敵な提言をありがとうございます。

箭内:あの、内堀さんにとってチャレンジって本当にたくさんあるでしょうし、小さなことから大きなこと、いろんなことを実現している最中だと思うんですけど。今年の内堀さんのチャレンジ、福島のチャレンジちょっと最後一言、二言でまとめていただけたらなと。

知事:了解です。私の今年のチャレンジは、同志、同じ志を持っていただける方を増やすことなんです。それはやっぱり共感していただくことで、今日実はここで『サミットin首都圏』でやらせていただいてるのもその一環。福島県のメンバーもちろん一生懸命頑張ります。ただ福島だけではなかな復興が進まない部分もある。多くの方々にいろんな意味で共感していただいて、それぞれの立場でできること、例えば「福島県の農産物、たまに買ってみっかな」あるいは、「1年に1回、2年に1回、 福島に旅行に行ってみようかな」あるいは日本橋に福島のアンテナショップがあるんですけど。そこに行って3杯飲んで500円のぐい呑みセットがあるんですけど。「それ飲んでみっかな」でもいんですが。自分にできることをやっていただける、そういう仲間を増やしたい。これが私の今年のチャレンジです。

箭内:食べて応援って言葉もね、 いろいろ光もあるし影もあるし、 難しい言葉だなって。  思いながら僕も見てるんですよね。だからあの、応援するために食べるっていう方ももちろんいてもいいし、おいしいから食べる、とかね。友達が作ってるから食べるとか、いろんな理由があると面白いなと思うし。まだ食べたくないっていう人は、僕は食べなくてぜんぜんいいと思うし。でも、食べてる人に「食べちゃダメなんじゃないの?」とは、あんまり言わなくてもいいんじゃないかなっていう風に思いますね。こういう話をするとまた、風評であるとかね、いろんな難しさに繋がってしまうと思ってついつい、そういう話をなるべく通らないようにしようっていう、そういう場も、見る時があるんですけど。でもなんかやっぱりここも含めて今の福島っていうことですし。

知事:やはりありのままだと思いますね。いろんな側面あるんですけど。何かが絶対的に正しくて、 何かが間違っているってことはなくて、いろんな捉え方があるのは、これはもう事実なので。それを受け入れた上で、次に何をするか、っていうことだと思いますね。若者たちが一番分かってくれていると思います。

箭内:農家の方々もものすごい努力を本当にされていて頭が下がります。はい。ということで、お送りしてまいりました。っていうとあれですけど。

知事:本当に今二人で、ガチでやっていたので、これを皆さんにね聞いてどう思っていただいたか、ちょっと心配なところもあるんですが、 すごく今素直に二人で語り合いましたね。

 箭内:そうですね。きっと知事の台本っていうのがもしあったとすると、もうちょっときれいなこと、かっこいいこと、希望に満ちたこと、っていうような話が増えてくるのかもしれないんですけど。でもなんか、そうじゃない方がよりちゃんと伝わっていくというかね、仲間が僕は増えていくんじゃないかなって、先ほどのお話じゃないですけど。なんかそんな風にも感じています。はい。ということで、ありがとうございます。

 

 

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