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松本 丈 さん

『復興のシンボルとなる飲食店の集積体を創る! ~日本の夜明け、福島の夜明けをいわきから発信~』

1982年、福島県いわき市生まれ。大学で建築を専攻し、不動産業に就職。その後、同郷の仲間が立ち上げた、47都道府県の活性化を目指す会社「ヨンナナプランニング」に合流。東日本大震災発生後、いわき復興の為、復興飲食店街:夜明け市場を立ち上げる。現在、夜明け市場の事務局長として、現場全般を統括するほか、NPO法人TATAKIGE Japanの共同理事長として、『日本に変革を促しグローバルに羽ばたく起業家育成』に取り組んでいる。

インタビュー日時:2013年9月14日

記事提供:ふくしま人図鑑

松本さんにお聴きする3つのキーフレーズは・・・

  1. いつか、いわきを面白くする! ~仙台で建築を学び、東京の不動産ベンチャーで修行後、友人の会社『47PLANNING(ヨンナナプランニング)』へ合流~
  2. 復興のシンボルとなる飲食店の集積体を創る! ~日本の夜明け、福島の夜明けをいわきから発信~
  3. TATAKIAGE Japan! ~自らを叩き上げ、行動を起こす仲間を増やしたい~

いつか、いわきを面白くする!~仙台で建築を学び、東京の不動産ベンチャーで修行後、友人の会社『47PLANNING(ヨンナナプランニング)』へ合流~

単なる復興ではなくて、まちをどう面白くしてくかみたいなのを同時にやっているプロジェクト

──福島で生きる、福島をつくる、福島人を紹介するふくしま人図鑑です。本日のゲストは

松本丈です。

──インタビュアーは私、小笠原隼人です。本日は、こちら、福島県いわき市にあります「夜明け市場」からお届けを致します。どうぞよろしくお願いします。

よろしくお願いします。

──よろしくお願いします。今、「夜明け市場」という松本さんが事務局をつとめてらっしゃる、この飲食店街からお届けをしているんですけども、ちょっとこの場所の説明を改めてお願いしてもいいですか?

はい。ここはですね、復興飲食店街「夜明け市場」という場所で、2011年の11月にオープンしました。被災してしまった飲食店の方とか、いわきを応援したい県外の方とか、新しく何かチャレンジしたいという、県内の方だったりとか、いろんな人がここに集まって、復興のシンボルにしていこうと、いうことで、ほんとに、前向きな方が集まってやっております。築40年とかのほんとに寂れたシャッター街の場所に、空きテナントがたくさんあって、そこにいろんな人が集まって、この「夜明け市場」という場所をやってまして。単なる復興ではなくて、まちをどう面白くしてくかみたいなのを同時にやってるプロジェクトです。

せっかくいわきの中心って言われてる駅前が全然面白くないって状況をなんとかできないかなって

──単なる復興ではなくて、まちをどう面白くしていくかプロジェクトとして「夜明け市場」をされている松本さんなんですけど。その「夜明け市場」の話につながる最初のキーフレーズです。「いつか、いわき駅前を面白くする! ~仙台で建築を学び、東京の不動産ベンチャーで修行後、友人の会社『47PLANNING(ヨンナナプランニング)』へ合流~」。まずこちらのキーフレーズをお伺いしたいんですけども。

えーっと、そうですね。僕自身はいわき市出身で、高校までここのいわきにいました。で、高校の時は、磐城(いわき)高校という、いわき駅から歩いて20~30分の所にある高校に、毎日通ってたんですけども。いわき駅前って、いわきの中心で、学校帰りとか、いろんなとこ行ったりするんですけども。ほんとに遊ぶところがないなーって思ってました。本屋に行ったりとか、そのくらいしかやれることがない、みたいな駅前で。「あーもう、全然面白くない」と。休みの日とかあれば、よく東京とか仙台とかよく買いもの行ったりとか、そんなふうにしていて。

この、「せっかくいわきの中心って言われてる駅前が全然面白くない」って状況をなんとかできないかなって、高校時代に思ってました。それが一つのきっかけになって、大学では建築を学ぶことになるんですけども。当時、「まちにかっこいい建物とかがあれば、人が集まったりとか、オシャレなまちとかになるんじゃないか」みたいな、そういうふうに思って、じゃあもう、そりゃもう建築だと。

僕はそんなにデザインセンスがないんであれば、建物を企画する側、プロデューサーになろうと思いました。

っていうので、建築学科に進んで。大学時代は仙台の大学だったんですけども。そこで建築を学ぶんですが、やってみて思ったのが、自分があんまりデザインセンスがないなーっていうことで。まわりにほんとに、絵描くのがうまいやつとか、設計するのがうまいやつとかいろんなやつがいて。

同時に、かっこいいデザインとかだけをやっても、その建物を建てる人とか実現する人が、プロジェクトを起こす人がいなければ、結局、ただ模型をつくって終わりとか、かっこいいデザインをして終わりになってしまうっていうのが、建築学科で思ったことで。だったら、僕はそんなにデザインセンスがないんであれば、建物を企画する側、プロデューサーになろうと思いました。

なので、大学卒業後は、結構僕の同級生なんかは、設計事務所とか、ゼネコンとかに行く人が多かったんですけど、僕はあえて不動産屋という道を選んで。で、たまたまなんですけども、いわき出身の不動産会社のベンチャーの社長に出会って、修行させてくださいみたいな話をして。「いずれ、いわきに戻ってきて、僕、独立したいんですけど」って言ったら、「お前、面白いな」と言っていただいて、大きい会社ではなかったんですけど、そこで、まぁ、勉強させていただいていたと。

倒産した時が一つのきっかけ

入社して1年半くらいで、不幸なことに、ちょうどサブプライムローン問題とか、リーマンショックとかがあった年で、そのベンチャーだった会社が、倒産してなくなってしまいまして。

それが、一つのきっかけになって、その後、友人たちと仕事するようになりました。倒産した時が一つのきっかけだったんですけど、やっぱり、サラリーマン時代っていうのはなんだかんだ、お給料を貰う。黙っていてもっていうのはおかしいですけども、毎月、25日になれば貰えるもので。

安定した立場というか。毎週末はちゃんと休めてみたいな。ちょっとどこか・・・ なんだろうな、ま、甘えてた部分ってすごくあったんだろうなっていうのが、倒産してみて初めて分かりました。

やっぱり、自分の身は自分で守んなきゃいけないし、どうせ今後の人生何かやるんであれば、好きなことやりたいなって思ったのが、その会社が倒産した時で。じゃあ、何しようって言って、半年くらい、僕、結構プラプラしてたんですけども。

その時ちょうど、いわき市で小中高ずっと一緒だった大親友の鈴木賢治(すずきけんじ)って男が会社を立ち上げると。「47PLANNING(ヨンナナプランニング)」という会社の名前で、47都道府県の地域活性化をやっていきたいんだって言うんですね。

僕としては、不動産の勉強をして、いずれ地元に戻ってきて、不動産として起業して、まちをどうにかしていきたい、っていう思いがあって。で、ちょうど僕の親友も、全然関係ない会計とかの勉強してたんですけども、まぁそういった側面からも、考えてることはそいつも一緒で。だったらまぁ、一緒にやりたいなぁってことで、その男が立ち上げた会社に合流して、一緒に仕事をするようになりました。

いわきの美味しいものをうまく発掘をして、それを都心でうまくPRすることで、福島にもっと関心を持ってもらったり、旅行に行ってみたいなと思ってもらったりとか、そういうことが、まちおこしに繋がっていくんじゃないかなと思って

で、どうやって、地域活性化をやるかっていう時に、一つ、食べ物っていうのがキーワードになるだろうな、と。どこか旅行に行ったりする時も、例えば仙台だったら牛タンが食べたくて仙台に行く人もいたりとか、地方地方に行ってみたいと思うような食べ物ってやっぱりあって。そういうのも、福島ってもっとあってもいいだろうなと。

福島県は、何が美味しいとかって、東京の人とか全く知らなかったり。なんとなく、「桃?」みたいな、そのくらいな感じで。いわき市なんて言うと、もう誰も、いわきがどこにあるのすら、分かってなかったりとか。

なので、そのいわきの美味しいものをうまく発掘をして、それを都心でうまくPRすることで、福島にもっと関心を持ってもらったり、旅行に行ってみたいなと思ってもらったりとか、そういうことが、まちおこしに繋がっていくんじゃないかなと思って。で、「47DINING(ヨンナナダイニング)」っていう企画をまず最初につくりました。

その企画は、お話したようなその地域に眠っている良いものを都心で売る、PRしていくっていう仕事なんですけど。最初に取り組んだのが、福島県の郷土料理の居酒屋さんを創ろうと。座って食べられる、接客とかも含めて福島を感じられるようなお店を創るっていうのが一つと。あとは、移動販売車で、車を改造して、キッチンなんかを積んでいて、で、イベント会場なんかで飛び道具的に、お店に行かなくてもいろんな会場で福島のものを売ったり、食べてもらったり出来るように。その二つですね。車と居酒屋、この二つをやろうっていうので準備をしてました。

で、ちょうど、1年半とか2年間くらいかけて、地元の営業なんかもして、取引先も結構増えて、僕ら全然名もない会社ですけども、「若い力を応援したい」とか「地元を良くすんだったら、ちょっとまぁ食材とかも出そうか」って言って下さったりとか、そんな人が増えてきて、2011年の4月くらいのオープンを目処に動いてました。

散々悩んだ挙げ句に、じゃあもう、出来ることやろうっていうので、炊き出しに

で、まぁ、そうなってる時に、3月11日にあの地震が起こって。もう、オープン間近というところで起こってしまいました。ほんとに、地元の取引先の方とか電話しても繋がらなかったりとか。もう、事業辞めてしまうって言ってる方もいたりとか。あとは、津波で倉庫が流されてしまって在庫がなくなっちゃったとか。奇跡的に(倉庫や在庫が)残ったけども、事業やんないとか、いつやれるか分かんないとか、そんな方ばっかりで。事業自体がこれもう、継続が不可能なんじゃないかって一時期は思ったんですけど。

ほんとに震災直後ってそんな状況だったんでやれることがない。ただ地元を応援したいと言って企画続けてきてて、車なんかもう完成してたんで。じゃあなんか出来ることやろうっていうので、ほんとは東京で売ろうとしていたその移動販売車で、地元のお弁当をつくって売ろうという企画があって。お弁当も中身も出来ていて、「じゃあこのメニューを持って、地元の方々に食べてもらう炊き出しに行こうよ」っていうふうな話が出て。で、初めての車の稼働が炊き出しで。4月のたしか、上旬くらいですかね。

散々悩んだ挙げ句に出来ることやろうっていうので、炊き出しに行って、秋刀魚のぽうぽう焼きとか。地元では郷土料理なんですけど、秋刀魚のつみれ汁とか、そういったものを地元でお世話になった商工会の方々と一緒に提供をして。で、800ちょっとだったかな。800人くらいの方にしかできなかったんですけど、すごく喜んでいただいて。「久しぶりにあったかいもの食べた」とか、「こんなぽうぽう焼きとかを食べられるなんて思ってなかった」ってすごい喜んで下さって。

だったらそういう場所をなんか、やろうかみたいな。つくりたいね、って話が生まれた

ただ、やってみて、僕らも出来ることやろうってはじめたものの、1回やるのに、お金も労力もすごい使って。1回に10万とか20万とか平気で使うんですね、炊き出しとかやると。で、それを毎回毎回、継続して続けるっていうのは、もうベンチャー企業の僕らにとっては難しいなと。で、もっとなにか、継続できる仕組みづくりをしなきゃいけないなぁって話を、炊き出しをした帰り道、みんなで銭湯とかに入りながらしていて。

そこで、だったら、継続的に出来る仕組みづくりで。僕らが営業していた飲食店の方とか、地元でレシピを提供して下さった方とか、いろんな繋がりがあって話は聞いていたんですが。店や倉庫が津波で流されてしまった方とかが、同じ場所で再開しても、ほんとにうまくいくのかとか、そんな悩みがあるっていうのを聞いていて。

であれば、そういった方々を1カ所に集めて、しかもそれが、いわき駅前とか、集客も見込めるような場所でやることができれば、そういった人たちを、継続的にさせることも出来るし、集まってやることで、隣同士・お店同士が助け合ったりとか。あとは、お客さんがそこにたくさん来ることで、1個の店だったら厳しいようなものも、お客さん同士が何軒もハシゴしたり。

あとは、その当時、ほんとに風評被害ってすごくて、地元の人が地元のものを食べてるような姿をうまく発信することが出来れば、風評被害払拭にも繋がるし。そこの拠点になっていけるんじゃないかと。そんな話が、帰り、もう、炊き出しをやった帰りの銭湯で、男みんなで裸になって喋ってて。だったらそういう場所をやろうかみたいな。つくりたいね、って話が生まれて。

その時は「夜明け市場」って名前もなくて、場所も何も決まってないんですけど、企画がそこで持ち上がって。そこから動き始めたっていうのが、「夜明け市場」が出来たきっかけです。

──ありがとうございます。そういう「いわきの駅前を面白くするんだ」っていうところから、デザインを勉強されて、プロデューサーになろうと思って、食をやろうと思ってっていう、紆余曲折があって。

で、これから、レストランやキッチンカーをはじめるっていう時に、東日本大震災が起きて、で、ベンチャー企業で、なかなか、時間もお金もない中で、炊き出しに来て、そこで、何か出来ることがあるんじゃないかっていうところから、「夜明け市場」の企画が始動するというところのお話だったと思いますけど。ぜひ、「夜明け市場」のお話、次のキーフレーズのところで、より深くお聞きしたいと思います。ありがとうございました。

ありがとうございます。

復興のシンボルとなる飲食店の集積体を創る! ~日本の夜明け、福島の夜明けをいわきから発信~

ほんとに困り果てていた時に、たまたまこの寂れたシャッター街を、紹介いただくことに

──それではキーフレーズ2に移りたいと思います。二つ目のキーフレーズは、「(2)復興のシンボルとなる飲食店の集積体を創る! ~日本の夜明け、福島の夜明けをいわきから発信~」。
ボランティアの帰りに、「47planning」のみなさんが銭湯で裸で、こういうの出来たらいいねって話したところから、どういう風に夜明け市場の実現に向かっていったんですか?

そうですね。最初はほんとに企画だけがあって、場所も何も決まってない。まず企画書をつくって、地元のいろんな人に話に行きました。「あの、こんな企画をやりたいんだけど、なんかいい場所ありませんか」みたいな。しかも、「いわき駅前でやりたい」みたいな。

ほんとに「いい企画だね」と言って下さる方は多くて。ただ、なかなか場所の情報なんか出てこなかったです。

「あの人に相談してみたら?」って言ってくださる方も多くて、どんどん人が繋がっていって。それで、いろんな方を紹介していただく中で、いろんな案が出て来ました。

例えば、一棟まるまる空いているような空きビルを紹介されたこともありました。あとは、ショッピングセンターの一角でやってみたらどうだとか、空き地でコンテナを建ててやってみるのはどうだろうとか。

いろんな案を検討したり、紹介いただくなかで、見積りもとったんですけど、どの案も5000万とか1億とか平気で見積りがあがってきまして。飲食店、数百万出すのも大変だったのに、こりゃあもう、無理だろうなと。

で、ほんとに困り果てていた時に、たまたまこの寂れたシャッター街を紹介いただくことになって。ここが、築45年のスナック街なんです。もともとは。

全盛期はバブル期で、1980年代には30軒くらいのスナックが入っていて。もう、肩がぶつからないと通りを歩けないくらい人がいて、大人気の場所だったと。それがどんどん寂れていってしまって。僕らが、この場所に出会った時はもう、7軒スナックを残すのみで。
夜なんかほんとに真っ暗ですし。壁なんか落書きだらけで、通りに入ることすら怖いみたいな。入ったらこれ、出られないんじゃないかっていうくらい、不気味な通りでした。

ただ、空き店舗がいっぱいあって、しかも小さい。もともとスナックの大きさの店なので、1人とか2人で事業をちょっとやるにはちょうどいい大きさで。じゃあ、このスナックをうまく活用すれば、当初のコンセプトを実現できるじゃないかって思いまして。

それでここの物件のオーナーさんに収支計画をつくってプレゼンに行って。そしたら、「そういう話であればぜひ一緒にやろう」と快諾をいただいて。で、ここの古いシャッター街を使って、「夜明け市場」という事業をやることが決まりました。

──へー。なんか、全然そんな寂れたシャッター街だったなんて想像できないですけど、そんなに怖かったんですか?

通るのすら憚られるくらい。暗いし、怖いし・・・ って言ったら、今もやってるスナックのお姉さんたちに怒られてしまうんですけど。そのくらい、暗い通りでした。

──でもほんとに駅前一等地で。歩いて3分。すごい良い場所に。

たまたまですよね。ほんとに。ここがなかったら多分「夜明け市場」は出来てなかったと思います。

2店舗からはじまって、徐々に徐々にお店が増えていって、今の11店舗っていう規模になっていった

──5000万とか1億の見積りを出されたところで、どうしようかっていう時に、ご縁でこういったところに出会って・・・ どうですか、その後はスムーズに出来た感じですか?

いや、全然そんなことはなくて。2011年の7月くらいにこの物件と出会って、11月にはもうオープンをしてるんですけども。当時やっぱり、建築資材がないとか、業者さんがいないっていう問題もあって、(テナントの)契約自体は5人くらい最初いたんですけども、全然その工事が進まないと。

僕らとしては、ある程度の規模になってオープニングしたかったんですけども、さすがに、10月ぐらいにできたお店をずっと待っていただくのは申し訳ないので、11月にグランドオープンやろうと。で、やったんですけど、その時にオープンしてたお店って実は2つしかなくて。メディアの方とかすごいたくさん呼んでオープニングイベントやったんですけど。全然、お店の数なんか少なくて。あの寂しい感じなのに、グランドオープンとか言って。

で、その2店舗からはじまって、徐々に徐々にお店が増えていって、今の11店舗っていう規模まで。ってなっていったんですけど。1年以上かけて今の大きさになっていったんで。ま、なかなかその規模感が出るまでは、当初僕らが思い描いていたような、「いろんなお店を選べて歩いて楽しい」みたいな状況にはなかなかならなくて、その間はほんとに大変だったと思います。

一つ転機になったのはビアガーデン

──1年かけて、2店舗から11店舗に増やしていったと。その過程のなかで、どんなことをされたんですか?

そうですね。新規出店したいっていう人の募集とか、サポートはもちろんなんですけど、もう既にオープンしてる方々に、いかにお客さんが来るような店になっていただいて、流行ってもらうか、売上を上げてもらうかが、僕らの仕事だと思ってます。集客いかにやるかとか、なんか面白いイベントをやって、その認知度をどうやって上げるかとか、そういうのを、ずっと地道にやって来たんですけども。

その中で一つ転機になったのは、いま、ビアガーデンってやってまして、今年もやったんですけど、中央のこの通りに、机とかイスを並べて、いろんなお店のものをちょっとずつ食べれるっていう。まぁフードコートみたいなものを、夏の期間限定でやってるんですけど。それが、去年かな、やった時にほんとにたくさんの人が来るようになって。で、認知度もすごい上がったんです。

それで、まちの人も、最初2店舗しかはじまっていなくて、「あの事業ほんとにうまくいくのか」っていうふうに言われていたところが、人が大勢集まる姿を見たことで、「やっぱりあそこうまくいってるよね」みたいに、意見がどんどん変わってきて。それが、良い相乗効果を生んで、人も出店者も、どんどん来るようになってきて。そういったものを積み重ねながら、今の状況になってるっていう感じだと思います。

簡単に言うと、ここを流行らせるっていうのが、多分僕の仕事

──なるほど。キーフレーズ1で、「プロデューサーを目指すんだ」っていうお話がありました。まさに松本さんがここをプロデュースする立場だと思うんですが、具体的なお仕事の中身は、どんな形でやられてるんですか?

うーんとですね。「夜明け市場」の全体の管理も含めて、企画とか運営とかっていう部分なんですが、やっぱり外からだと、なかなか僕の仕事って分かりづらくてですね。えっと、簡単に言うと、「ここを流行らせる」っていうのが、多分僕の仕事で。いろんな話題づくりをするのにビアガーデンをやったりするのもそうですし。それをやる時に例えば、いろんなメディアの方と繋がりを持って、その情報発信をし続けたりとか。日頃の、「こんなことやってるんです」っていうのを、facebookだったりホームページだったりで発信するのもそうですし。あとは、直接的にまちの人とどんどん仲良くなって、いっぱいここに来てもらうのに、僕も商店街の活動とか積極的に出ますし。

あとは、外の人との繋がりもそうですね。この近所だけじゃなくて、県外のお客さんとか、東京の方に向けてもそうですね。いろんな情報発信をすることで来ていただいたり。またご縁をいただいたりとかっていうふうに繋がっていく、その全体の集客に繋がるような動きを全般的にやってるのが、僕の仕事だと思います。

何となく伝わります?

──そうですね。お店はそれぞれのお店で頑張っていただいて、とにかく人を連れてくるようなところなんですかね。

そうですね。そのために出来ることをお金をなるべくかけずにやっていく。CM打ったりとか雑誌に載せたりとか、やり続けるほど体力もないですし。お金をかけずにいかにPRをし続けるかだと思います。

コミュニケーションツールとしての掃除って、すごく有効なんだなってことがやりながら分かった

──あの、実はちょっと個人的にお聞きしたいことがあって、毎日掃除をされてるって話をちょっと聞いたんですけど・・・

そうですね、掃除をしてます。掃除をはじめたきっかけっていうのは、もちろん「夜明け市場」っていう場所をきれいにしたいっていうのもあるんですけども。

さっき言ったように、僕の仕事ってすごく見えづらくてですね。成果も分かりづらいですし、いつも何やってるかよくわからんというふうに、お店の方からしても言われてたことがあって。

で、コミュニケーションをどうやってとるかって、僕もほんと悩んだ結果、いろんなことを試行錯誤しながら、掃除がいいなと。掃除しながら、毎日通りもきれいになるし、お店とのコミュニケーションとかもはかれるし。

「夜明け市場」の中だけじゃなくて、通りの外まで僕やってるんですけど、そうすると、まちの人とかともしゃべるきっかけになるし。 たかが掃除なんですけど、毎日やってると「あいつちょっと頑張ってるな」みたいに見ていただけることも結構あって。

で、それが、最初は狙ってやってたわけじゃないんですけど、やってるうちに、「あ、そういうこともあるんだな」みたいな。コミュニケーションツールとしての掃除って、すごく有効なんだなってことがやりながら分かって。なので、もちろんきれいにしたいのもありますけど、そういった、どう人と仲良くなるかみたいなツールとしてやってる意味のほうが大きいかもしんないですね。

──じゃあ、毎日夕方ぐらいになれば、この辺りを掃除してる松本さんに出会える?

はい。掃除もするし、草むしりとかすごいやってます。

全然繋がりはなかったんですけども何人か、僕らを最初から応援して下さってる方々がいた

──「人をいかに連れてくるか」ってところで、情報発信でWEB使ったりっていう部分も当然やると思うんですけど。地域の方との繋がりをつくるって、松本さんが1回(いわきの)外に出られて、帰って来て・・・ もともと別に知り合いだった方とかっていないんですか?

そうですね。地元はここのいわき市なんですけども、大学から仙台に行ったりとかで、もう10年以上離れてた場所なので、なかなか、知り合いも多くないですね。なので、最初はやっぱり、頼る人もそんなにいなかったですし。そんな中で、徐々に徐々に、どうやってまちの人と仲良くなってやるか、ほんとに僕にとっての課題で。

だからこそ、商店街とかにも顔も出しますし、さっきの掃除もそうですし。そういったことをしながら、やるっていう。どうやってその繋がりつくるかみたいな。

あとは、最初、全然繋がりはなかったんですけども、まちの方で何人か、僕らを最初から応援して下さってる方々がいて。その1人が、「夜明け市場」のちょうど隣にある映画館の社長さんなんですけども。その方が、「まちづくりやるには、よそ者、バカ者が必要だ」と。よく言われてることだと思うんですけど。で、「お前みたいな若いやつが、戻って来て頑張るってことが大事で、それをまちとしては支えてあげなきゃいかん」と。そういったスタンスで、僕らがうまくいくか分かんない時から、ずっと応援して下さって。

そういった人たちがいたおかげで、いろんな人紹介してもらったりとかも含めて、人の繋がりがどんどん出来てきたなぁ、っていうふうに思います。

──すぐそこにある映画館?

そうです。いわきで唯一の映画館です。

──映画館は昔からあったんですか?

ありました。ちいちゃい頃から、はい。僕の高校の時、本屋に行くか映画観るかぐらいしか、駅前で出来ることないなーと思っていて、だから映画館はよく来てたんですけど。

──その映画館の方とまさか・・・

そう。こんな形でなんかお世話になるとは思ってなかったです。

「夜明け市場」っていう、緩い繋がりというか、一つの長屋みたいな、一つのコミュニティ

──今、11店舗ですかね。入ってらっしゃるテナントの数。

はい。そうです。

──この、夜明け市場でお店を開きたいっていう方が、もしかしたらいらっしゃるかもしれないんですけど、まだ、入れるんですか?

そうですね。はい。まだ1階も1個、2個くらい入れますし、2階でも3個くらい物件空いてるんで。ほんと、やりたいって方がいたら、ぜひ、一緒にやりたいなぁと思ってます。

※編集部注:現在の空き物件数は、夜明け市場までお問い合わせください。

ここは、1個1個の店、もちろん独立して運営してるんですけども、「夜明け市場」っていう、緩い繋がりというか、一つの長屋みたいな、一つのコミュニティなので、そういった隣同士と付き合ったりしながら、仲良く出来るような。全体が良くなることで、お客さんが自分ところにも来るし、みたいな。そういった、いろんな方と一緒にやることがプラスになるんだ、っていう価値観に共感して下さる方だったら、一緒にやりたいなぁって思っております。

──長屋的なコミュニティがここにはあって。

ほんと、長屋だと思います。例えば焼き鳥屋で、目の前にある(別のお店の)パスタが注文できたりするとか。食材がなくなれば、「ネギ貸して」とか「醤油貸して」とか。そんなやり取りいっつもやってますし、みなさん。この現代でもこういうことって起こるし、逆にそれがすごい面白いなぁって思ってます。

──へぇー。そんな素敵な「夜明け市場」で、僕らもこの後、ハシゴさせていただきたいなと・・・

あー、もう、ぜひぜひ。

──(このインタビューを)見て、もし、興味わいた方も「夜明け市場」に遊びに来て下さい。

ぜひ、遊びに来て下さい。

──というわけで、キーフレーズ2をお届け致しました。どうもありがとうございます。

はい。ありがとうございます。

TATAKIAGE Japan!~自らを叩き上げ、行動を起こす仲間を増やしたい~

なんかやる気のある人が出会えたりとか、すぐ誰かに相談したら地元の人に繋いでくれたりとか、そんな場所

──それでは、三つ目のキーフレーズに移りたいと思います。三つ目のキーフレーズは、「(3)TATAKIAGE Japan! ~自らを叩き上げ、行動を起こす仲間を増やしたい~」。

TATAKIAGE Japan!ということなんですけれども。

ちょっと暑苦しい名前のNPO法人「TATAKIAGE Japan」っていうものを立ち上げました。「夜明け市場」が、テナントが埋まって来て、じゃあ、次の活動、どういうのやろうかって思った時に、飲食の人だけじゃなくて、いろんな人が、この「夜明け市場」っていう場所から、起業していったり、なにか行動を起こしていったりとか。そういった場所になっていくことが出来れば、一つの狭いエリアだけで完結するものではなくて、ほんとにまちに広がっていく活動に「夜明け市場」がなっていくんじゃないかな、っていう思いがありまして。

で、なんでこんな団体つくったかって言うとですね。僕がUターンして戻ってくる時に、なかなか地元にとけ込んでいく、入っていくのが大変だったなと。長く外に出ていると、やっぱ誰を頼っていいかも分からないし、知り合いも全然いなかったですし、お金もない、事務所もないみたいな、そんな状況からはじまったんで。

もし、同じような、なんかやる気のある人がそこで出会えたりとか、誰かに相談したらすぐ地元の人に繋いでくれたりとか、そんな場所があったら、僕、ほんとにすぐにでも利用したなと思って。そういった何かやりたい人、外から入ってくる時にもっと入りやすい環境っていうのをつくりたいなぁって思ったのが、このTATAKIAGE Japanっていうものをつくったきっかけです。

──そういった情報交換とか、外から来た時に入りやすい、サポートをされるということなんですけど、具体的にはどういったサービス内容を?

そうですね。メインになるのは、コワーキングスペース。今、ちょうどここがそうなんですけど、ここを運営してます。
で、ここを中心にいろんな人が集まる場所になって、情報交換とか、コラボレーションが起こればいいなぁ、なんて思ってます。

(カメラにパンフレットをアップで見せながら)これ持ってけばいいんでしょうか? 見えてんのかな? TATAKIAGE Japanっていう法人です。はい。で、コワーキングスペースを運営しております。はい。で、今ちょうどいるのが、僕らが座ってるのが、この辺です。はい。

(カメラを回しながら)こっちまわりがいいんですね。はい。こんな感じでーす。

──ここなんか、いろんなチラシですか?

そうですそうです。チラシコーナーみたいな。

──地域情報もいろいろ、ここに来れば見られるような。

そうですね。そんなのを置いてあります。

はい。ここはホワイトボードなんですけど、はい。壁一面がホワイトボードになっているので。

──何でも、このまま書けちゃって、ミーティングとか出来ちゃうような。

そうなんです。ここの壁に向かって、ミーティングしたりとか、いろんなプレゼンやったりとか、ってのをやったりしてます。

いろんな人の助けがあって、こんな素敵な場所になりました

──いやぁ、すごいですね。またこれ、お洒落ですよね。うん。この布なんかも。

ありがとうございます。ほんとにここの立ち上げする時に、いろんな企業さん、協力していただいてて。家具なんかほんと、IKEAさんが全面協力しますってことで、一式いただいてしまって。ほんとに、(カメラに向かって)ありがとうございました。

ハードの部分でも、東京の建築家の方が、僕が、コワーキングをつくりたいんだよねっていう話をしたら、「どうせつくるんだったらかっこいいものつくりましょうよ」、って言って、デザインで協力して下さったりとか。

東京の内装会社さんですね、コスモスモアさんってところと、そこから紹介して下さった、畑克敏(はたかつとし)さんという建築家、若手の方ですね。内装とかやって下さったりして。いろんな人の助けがあって、こんな素敵な場所になりました。(カメラに向かって)ありがとうございます。

──(一緒に)ありがとうございます。

(笑い)

──いや、ほんとに素敵な場所で。奥にもミーティングスペースがあったりとか。あと、プリンターとかコピー機も使えて、無線LANも。

無線LANも飛んでますし、はい。

──ちょっとキッチンみたいな。

そんなのもあります。はい。ウォーターサーバとかも全然使っていただいていいですし、はい。

やっぱもう、情熱とやる気と行動力があっただけで、今、そういった人たちが、どんどん伸びていけるような時代だって僕はほんと思っている

──そういう場所ではあるんですけども、そのTATAKIAGE Japanっていうその言葉。言葉に込められた思いって?

そうですね。僕たち、僕もですけど、あと一緒にやってる鈴木賢治とかもなんですが、ほんとに学歴とか関係なく仕事をしているなと。

どれだけ行動したかとか、人に背中を見せれるかとか。これからの時代の働き方っていうのは、やっぱりそういった泥臭いことも含めてやっていくっていうのが、すごくなんか、こう、時代にもマッチしているんじゃないかなあと。で、こういった、なんだろう、今震災が起こったからもあるんですけど、戦後の時代とすごく似ていて、やる気のある人はどんどん、いろんなことが、チャンスもあるし。

そういった時代に、日本をつくってきた、叩き上げと呼ばれているような人たち。別に学歴があったわけじゃないし、もう、情熱とやる気と行動力があっただけで。今、そういった人たちが、どんどん伸びていけるような時代だって僕はほんと思っているので、そういった思いも込めて、行動する人をどんどん増やしたいなと。そういう人を、動きやすいように、入っていきやすいようにっていうので、TATAKIAGE Japanっていう名前も付けてやりました。

何となく、伝わります?

──うん。泥臭く。

そうですね。

──行動を持って。

もう、なんかスマートに何かをやれるんだって、ほんとに全然、思わなくなりました。震災後、こうやっていろんなのをやってみて。

人に認めてもらうことも含めて、田舎だったらやっぱり、どれだけ行動したかとかが、1番大事で。それってほんとに、叩き上げの精神だろうなと。

やっぱり、恩返しをしなければならないなって、すごく思うようになって来たっていうのが、最近ですね。

──それこそ東京の不動産ベンチャーでお仕事されて、飲食店つくられて、泥臭く活動されて来たような印象があったんですけど、震災の後でまたさらに変わった部分っていうのは、おありなんですか?

そうですね。震災の後、変わった部分。うーん。意識は、すごく変わったなと思っていて。

その47PLANNINGっていう会社に入った時。勤めていたベンチャーの会社が倒産したっていうのが、一つの「自分でなんとかしなきゃ」って思ったきっかけですし。

震災ってのは、ほんとにきっかけを貰ったなと思ってまして。意識としては、時間はほんとに有限で、生きてるうちに何が出来るかなと。どんだけ人の役に立ったり、そういうのが出来るかなと、より強く思ったのがやっぱり震災後なので。

あとは、そうですね。自分たちがいろいろ、世話になりながら、こうやって事業をうまく軌道に乗せることが出来て。やっぱり、恩返しをしなければならないなって、すごく思うようになって来たっていうのが、最近ですね。

だからこそ、次に何かしたいっていう人をサポートしたいなっていうふうにも思うし。あとは、自分たちだけがやってても、全然、何て言うんでしょうかね。まだまだ足りない。

福島で活動する人をもっと増やしたいなぁって。で、そうするためには、一つ、ありがたいことに、事例をつくれた自分たちが、次の人を育てたりとか、受け入れたりとかってのをやるのが、僕らに課せられてる役割なんじゃないかなぁって、そんなことを思ってます。

人の繋がりが出来てくると、昔は見えてなかった、なんか面白みというか、すごく愛着がわいて来ていて。

──キーフレーズ1の時は「いわき駅前を面白くする」って、高校の時から、そういう思いがはたらいていて。で、今その、「(いわきに対する)恩返し」という言葉。昔、思っていたいわきのまちイメージと、今のイメージって、ちょっと違ったりしますか。

実は、全然、違うなぁって。高校の時は、人とそんなに、絡まない中で、まちの表面だけを見て、何があるとかだけで判断してたなぁと。今より、その当時のほうがもしかしたら、お店とかあったかもしれないし。

ないものばっかりなんですけども。実は、商店街の方とか含めて、地元の人とどんどん仲良くなって、人の繋がりが出来てくると、昔は見えてなかった面白みというか、すごく愛着がわいて来ていて。

ほんとにいろんな方と出会ったりするからこそ、生まれた愛着だとも思うし、昔の動機は、なんだろう、表面的な面白さみたいなものだったんじゃないかなって思いますね。なんか。

人と深く付き合うと、「物」じゃなくて面白いっていうのが、すごく最近感じれてるって思いますね。

地元の方と繋ぐっていうのが、やっぱり僕の役割だと思ってる

──これから外からやってくる方なんかにも、そういった面白さ、人と繋がる中で感じられる面白さを、より感じられるようなサポートを松本さんにしていただけるんでしょうかね。

(笑)。いやぁ、それはもちろんです。そういった、地元の方と繋ぐっていうのが、やっぱり僕の役割だと思ってるので。

「何かこんなことやりたいんだけど」って言ったら、いろんな地元のキーマン、僕知ってますので。じゃあ、あの方に繋いだら、この人うまくいくかもな、みたいな。そういったのを、どんどん繋いでいくことが、事業とか、なんかやりたいってことを実現にちょっとでも近づけることだって思うんで。そういったことを、どんどんやりますんで。

──ありがとうございます。じゃあ、最後に、見ている方へメッセージとか。ここ(コワーキングスペース)にちょっと興味持たれている方々もいると思うんですけど。

普通に遊びに来ていただければ。僕は、いわきのこの場所を拠点にしてますんで、連絡、事前にもらえれば、いつでも相談にものるし、一緒にやれることをやりたいなぁって、ほんとに思います。で、僕はほんと地元側のプレーヤーの1人で、全然まだまだ、サポート側って思ってなくて、僕と何か一緒に事業をしたいとか、せっかく場所があるので「夜明け市場」を使った飲食の企画で何かしたいとか、っていう人がいれば、どんどん言っていただければ、コラボした企画なんかもつくりますし。

そういった意味でも、何か行動の種とか、起業の種とか、そういったものって「夜明け市場」のまわりに、いっぱいあるんじゃないかなと思ってます。

──ぜひ、今の話で何かピンときた方は、松本さんにお声がけいただければと思います。

はい。

──というわけで、本日のゲストは、「夜明け市場」とTATAKIAGE Japanの理事長をされていらっしゃる、松本丈さんでした。また次回、ふくしま人図鑑でお会いしましょう。さようなら。


【参考】松本丈さんの関連サイト 夜明け市場・飲食店街
特定非営利活動法人 TATAKIAGE Japan
株式会社 47PLANNING
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【はじめっぺな取り組み】 復興のシンボルとなる飲食店の集積体を創る!

 

※はじめっぺ直売所では季節に応じて様々な福島県産品を販売しております。

 

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