古山果樹園5代目 古山浩司
1976年2月23日生まれ。福島市出身。古山果樹園の創業は明治16年で5代目。工業系の大学に進学し、大手企業でエンジニアとして勤める。大手の企業体制に疑問を感じつつも13年間サラリーマンとして勤務。自分の責任においてできる仕事をしたいと、2010年4月に会社を退職して就農。農地全体にステビア農法を導入し、りんごにおいては味重視の葉取らずを行う。
エンジニアとして13年勤務した後に農家へ就農。研究機関とも連携して日々新しい農業に挑戦している。
1つ1つの果実に触ること、多種少量生産にすることへのこだわり。
東日本大震災初年度の現状。今後、福島の果樹の価値を、どのように上げていくか色々な構想を考えている。
元々は工業系の大学を出て、大手企業でエンジニアとして働いておりました。会社の体制に矛盾を抱えつつも、海外含めて色々な部門を経験させて頂き、13年間勤務しました。
大手の会社体制は責任の所在が曖昧になりやすいので、全ての責任を自分で負いたい気持ちを抑える事ができずに、実家の果樹園を継ぐことになりました。
会社も福島県内だったこともあり、繁忙期に実家の手伝いを元々しておりましたので、作業内容は知っていました。右左分からない中でというよりも、右の奥、左の奥を知る作業でした。
農家はいきなり自分が経営者ですので、自分の決断が全て結果にでます。自分の責任において全ての作業をしたいという視点で考えた時に、正に農業は自分がやりたいことだと感じました。
もの作りに関しては日々勉強で、講習会や勉強会に積極的に参加しています。
また、研究機関と一緒に日本初の技術を使った農法を行っております。全国的に桃の病気が蔓延しているのですが、科学的に立証できれば桃の救世主になれるかもしれないという技術です。
簡単に言いますと、「木が元気だと外からの病原菌に対処できる」ということで、特殊な成分から抽出した有機の土壌改良剤を畑にまくことで木が元気になります。この事例が立証されれば、果樹だけではなく野菜にも効果が期待されます。
こうした研究機関からの依頼には、お年寄りは受け入れてくれない所が多いので、若い人世代だからこそ、やってみようとチャレンジしました。
果物は自己消費よりも、日本の贈答文化に支えられて育ってきました。お米は1年間に全く食べない人はいないですが、果物は好き嫌いに関わらず1年間で全く食べない人はいると思います。自己消費よりも贈答品として、果物は売られてきました。
当果樹園も創業121年目ですが、贈答文化に支えられて口コミでお客様を獲得してきました。桃とりんごはお中元の時期に重なることもありまして、年配の方が買ってくださるのですが、次の世代が引き続き購入するかというと難しいかと思います。
そこで、贈答文化に頼るのではなくいかに自己消費してもらえるかを考え、生産方法や販売方法を考えていく必要があります。例えば、日本の高品質を売り出して、海外で販売することもできるかと思います。送料などを考えると1個単価が高くなってしまいますので、ターゲットは富裕層にしぼるしかないのですが、富裕層は美味しいと思えば購入してくれます。
個人で海外に出荷することは、輸送費を考えると物量をそろえないと難しいので、今後は福島の農家さん同士での海外展開も考えています。
私がこだわっているポイントは全ての果樹1つ1つに自分が触るということです。
人を雇って大きな農園をされている農家さんもありますが、私が農家を始めたきっかけとして、全てを自己責任で行いたいという想いがありました。
責任を負うには、自分の手で触らないといけないと思っています。ギリギリ家族経営でできる範囲で質の良いものを作ろうと思っています。
また、今はちょっとしたものを、色々つまみたい人が増えてきていると思います。シェアという言葉にも表れている様に、特に女性はそういう考えの方が多く、それは私の目指すところの個人消費にもつながっていくと思います。贈答文化は量を多く送るため、ある程度の量が必要ですので、そうした方のためにあかつきという品種もありますが、多品目少量生産をメインに16品種生産しています。
多種少量生産にすることで、色々な商品をお客様に提案できるようになりますし、作業を平準化することで、果樹に手間暇かけることができて高品質にも繋がります。
東日本大震災後は、初年度から検査をして測定結果を下回っていると分かっていたので、その資料を添付して送っていました。ですが、風評被害の影響で今までのお客様の半分はにいなくなってしまいました。残ったお客様も贈答用に購入される方が多かったので、自分で購入するには良いけれど、人には送れないという人が多かったです。消費者側の心情も分かるので、無理に買って欲しいとも言えませんでした。
私はJAに卸していなかったので価格に左右されることはありませんでしたが、他の農家さんの話では、震災前はJAに1箱4,000円で買い取ってもらえたのが、東日本大震災後の初年度は10円だったと聞きます。それは買い取り価格の最低価格なんです。取れば取るほど人件費や梱包費、送料などを考えると赤字になってしまいますので、そのまま収穫せずに腐らせたところが多かったと聞きます。その話を聞いた時には、さすがに涙が出ました。
一方で応援してくれるお客様も多く、私もその応援に応える品質のものを出荷できましたので、今では東日本大震災前よりリピーターのお客様も増えました。価格帯としましては、東日本大震災前の末端の価格まで戻りました。
今年からは、震災から4年経過したこともありまして、しつこく検査結果を添付するのも逆に不安にさせると思い、サイトにのみに検査結果を掲載しています。
今後は、福島県産の果物の価値を日本一にしたいという想いがあります。福島県は果樹王国なのですが、残念ながらNo.1がありません。素晴らしい品質のものはあるのですが、広報が上手くできていなかったのです。震災後に福島に目が向けられていた時期もチャンスではありましたが、アピールのチャンスを逃してしまった様に感じます。
千疋屋さん等で置かれている果物は、例えば桃1個3,000円もするものもあります。もちろん、1日に沢山売れる訳ではないのですが、そこに福島県産の桃も1個3,000円で置かれるという事実を作りたいのです。
品質では負けていないので、そうした事で福島のブランド力を上げて、農家全体の価格帯の底上げをしたいと考えています。
サンピーチ、ミスピーチ、伊達の三桃は、農家では知っているブランド名ではありますが、全国的に認知度はありません。自分発信のブランド名を作っていきたいと思っています。