野中美紗子さん P&Gジャパン社員寄付基金委員会委員長。広島県出身。 |
矢野舞子さん P&Gジャパン社員寄付委員会前委員長。東京都出身。 |
【 P&Gジャパン社員寄付委員会】
P&Gジャパンにおいて実施されたチャリティーイベントや東北名産展などで集めた募金の寄付先を検討・決定するための、社員ボランティアによる委員会。2014年は、委員会の選定によって、東北復興支援を行う6団体に寄付が行われた。
・エピソード1 寄付の支援から人的支援へ。その中で生まれた繋がり。
P&Gジャパン社員寄付基金の概要。よろず相談室さんとフロンティア南相馬さんへの人的支援について。
・エピソード2 きっかけは支援だとしても、良いものだから買う。福島のこれから。
福島の魅力や、今後の課題について。
・エピソード3 これくらいしかできないのかという想い。本業をしながらボランティアで委員会を続けている理由。
2人がP&Gジャパン社員寄付基金で活動するに至った経緯と、その中で感じていること。
―お二人は福島に来られるのは何回目ですか?
野中美紗子さん(以下、「野中」と略):2年前に、支援先の方とお会いしたのが1回目でしたので、今回で2回目です。
矢野舞子さん(以下、「矢野」と略):仙台にプライベートで来たことはありますが、福島は初めてです。
―P&Gジャパン社員寄付基金としてどのような事をされていますか?
矢野:社員寄付基金では、チャリティーイベントや東北名産展などで集めた募金や、当社の社員から集めた寄付金を、ボランティアによる社員寄付委員会がどの様に運営するのかを決めています。プロセスとしては、まず一年を通じて、どんな団体が支援を必要としているのか、社員から意見を聞き、自分たちでも外部のネットワークを通じて探します。その後、選考基準を元に精査、議論して社員に再度意見を聞きます。今年度は6団体選定をして額を割り当て、各団体にお伝えし、活動内容も定期的に報告して頂いて社員に伝えています。
今年は新しい試みとして、寄付するだけでなく人的支援をしたいとの声がありました。寄付先の「よろず相談室」さんと「フロンティア南相馬」さんでチームを作り、よろず相談室さんはホームページでの情報発信ができていないとの事で、ITに強いメンバーがサイト改定等のサポートをしました。月1でミーティングをよろず相談室さんと行い、自分たちでもサイトが更新できるようにサポートさせて頂いて今年の1月前半に完成しました。
野中:よろず相談室さんは神戸にある団体で、阪神淡路大震災で被災したときから支援活動をされてきた団体で、その学びを活かして現在東北にも支援をされています。阪神淡路大震災から20年となる今年、よろず相談室に対して様々な取材がある中で、どのように効果的な情報発信をするかが課題でした。
20年目を迎える1月17日までにサイトを制作することが目標でしたが、その目標をクリアし、その後も色々な効果があったとお聞きできたので良かったと思っています。例えば、沖縄の学生が改定されたホームページを見て卒論に書きたいということでよろず相談室に連絡を下さったそうで、神戸から離れたところとの繋がりができました。
フロンティア南相馬さんは、写真展をされているのですが、今回は神戸でやりたいというお話を頂きました。私たちは場所を探すお手伝いや、備品等の設置をしたり、当日のお客様とのお話相手のボランティアをさせて頂きました。
―どのような理由で、その2団体を支援先として選ばれたのでしょうか?
野中:寄付だけでなく、人的支援として何かできることは無いかと思っていたところ、寄付先の6団体のうち、2団体から話がありました。寄付する団体さんはどんな活動しているか、選ぶ段階でお話する機会があります。課題などをお聞きして、お金だけじゃない助けも必要という声を受けた経緯があります。
―相手と腰を据えて話すと、支援する中身も見えてくるという事ですね。
野中:支援した団体について社員にも伝える義務がありますので、それぞれの活動内容や想いを知る事は必要だと感じています。
矢野:よろず相談室さんは、事務所も近いので活動しやすかったという理由もあります。フロンティアさんも神戸での写真展ということでしたし。
野中:距離はどうしてもあるので、仕事もある中で何ができるかを考えています。色々お手伝いして欲しい事はあると思うのですが、私たちも持続的にできるようなやり方で関われる事を探しています。
―福島の魅力や、課題に感じるところがあれば教えて下さい。
野中:私は震災後の福島しか知らないのですが、震災を乗り越えようとしている人が集まってきて繋がってきているのを感じます。
前回訪れた2年前にも感じましたが、今は更に感じています。自分たちで解決しようという意識が凄いです。そしてご飯もお酒もおいしいです。
―支援に関してですが、持続可能なかかわりを続けるために、支援される側にとって必要なことは何だと思いますか?
矢野:現状とイメージのギャップがあり、実際よりも「大変」「危ない」というイメージがまだあるかと思います。情報発信が課題なのかと思います。
野中:仕事を通じて思う事として、外部の協力を得て問題が解決したとしても、継続して当事者がプロジェクトを行わなければ続かないと感じています。震災後の福島にはIターンの方も多い印象を受けますが、やはり当事者の声で、当事者の方がつくっていく事が大切だと思います。
また、近所のスーパーで東北フェアが行われていたので買いたいと思ったものを買った経験がありました。そこには支援という気持ちはありませんでした。品質が良く、美味しいものは皆買うと思います。きっかけは支援だとしても、品質が良ければ生活に取り入れるのだと経験で感じました。
―本業もあってお忙しいと思いますが、そこまで続けている理由はなんでしょうか?
矢野:東日本大震災のとき、私はまだ大学生で、神奈川でテニスの合宿をしていました。帰れなくなってしまい、合宿場の水もなく、電気も1日でしたが使えなくなってしまいました。その後、東京でも余震が続いてろうそくでの生活でした。大したレベルではなかったのですが、家族や人との繋がりを感じました。
そういったこともあり、震災後は大学のグループで募金活動をしていたのですが、大した額は集まらなかったです。1日で3万円くらいでした。学生でしたし、活動内容に問題があったかもしれないのですが、「これぐらいしかできないのか」という想いが残りました。
その後会社に勤めはじめまして、明石工場で当社の製品であるパンパースの物資援助や東北物産展の活動があると聞いて、会社に入っても支援ができる方法を知り、何かできればと寄付委員会に入りました。東北で起こっていることはいつ私の身に起こってもおかしくないので、きっと自分が同じ立場なら、支援を必要とすると思います。ですので、逆の立場でできることをと思いました。大きなお金を動かしてる訳ではないのですが、できる形で無理なく支援したいと思っています。同じ意志で活動しているメンバーに会えた事も大きいです。
野中:私は、震災まで東北は身近ではありませんでした。ですが、小さい頃から途上国支援に関心がありました。日々の生活が脅かされている人や、楽しく生活できずに困難抱えている人のために何かできないかと、学生の頃はフィリピンで学生と活動もしていました。会社に入って活動を知り、今までは海外でしたが日本でも支援をしたいと思いました。
矢野:最初は、「なんでみんな寄付しないの?」という気持ちがありました。ですが、全員に同じことを求める事は難しいと感じています。今、一緒に活動している委員会のメンバーも、もともと支援活動に関心があった人たちばかりです。もともと関心があった上で人の繋がりがきっかけとなり、仕事がある中でも活動したいという動機になっています。
―何か活動から学べた事はありますか?
野中:普段は社内で働いているので、自社製品のことに関して社外の人の意見を聞く機会があまりありません。ですが社外の人と関わる中で自社製品についてのイメージを聞けるので勉強になります。また、実際に被災地の人とお話できて、復興の様子など直接お話を聞けるので貴重な経験をさせて頂けていると思っています。
矢野:被災した方の生のお話を聞ける貴重な機会をいただくことがあるのですが、そういった経験や学びは今後につなげていきたいです。私は人事の仕事をしているのですが、危機管理の部分ですとか、プライベートでもどの様に対応すればよいのか勉強になります。
野中:仮設住居の中の問題も実際お話を聞くまでわかりませんでした。体育館に避難している際は、プライベートな空間が無くて困るという話は聞いていましたが、それだけでなく、同じ仮設に住んでいる人同士でも、元々住んでいた地域によってコミュニティが違うということも問題になるのだと知りました。
問題の複雑さは活動をし始めて現地のみなさんとの交流を通じて初めて分かりました。東北の問題は、いつ自分に降りかかるか分からないので、自分に置き換えてどうなるか考える機会になっています。
―ありがとうございました。
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