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ふくしまに想いを寄せる九州の企業・団体が「ふくしまとチャレンジできること・していること」 【前編】

「ふくしまから はじめよう。」のスローガンのもと、「ふくしま」に想いを寄せる九州の企業や団体の皆さまと福島が一緒にチャレンジすることを目的に行われた、ふくしまから はじめよう。サミットin九州」 。本日は、その中で行われた、福島支援に携わる、民間事業者4者による、パネルディスカッションの内容を紹介します。

・福島県石川町に工場を置く福岡の上場企業「日創プロニティ(株)」の石田社長
・熊本県別府市に位置し、学生と共に継続した福島の支援を行う「立命館アジア太平洋大学」の今村副学長
・別府温泉の老舗「ホテル白菊」の西田代表
・東京からUターンで福島県郡山市に戻り20代で起業した「(株)concept-village」の馬場社長

それぞれに立場の違う、個性豊かな4名でたいへん盛り上がったパネルディスカッションとなりました。

本日お送りする【前編】では、それぞれの立場から、これまでどのように福島支援に携わってきたのかをお話いただきました。

 

【目次】

1. 日創プロニティ株式会社 代表取締役社長 石田徹氏

2. 立命館アジア太平洋大学副学長 学校法人立命館常務理事 今村正治氏

3. 別府温泉 あったまる宿 ホテル白菊 代表取締役 西田陽一氏

4. 株式会社concept-village 代表取締役 馬場大治氏

 

 

1. 日創プロニティ株式会社 代表取締役社長 石田徹氏

日創プロ二ティ株式会社 代表取締役社長 石田徹

1971年生まれ。福岡県福岡市出身。1990年福岡県大宰府高校卒業。1992年日創工業有限会社(現日創プロ二ティ)入社。2003年日創工業株式会社(現日創プロ二ティ)取締役。取締役執行役員営業推進部長、常務取締役執行役員管理部長兼品質管理部長等を経て、201411月より現職。2014年3月より、福島工場の操業を開始、同年6月には福島営業所を開設し、福島県を東日本の拠点として関東以北の地域への営業を展開している。

 

石田社長(以下、石田と略):

まずは、会社概要からお話します。「『加工価値』の創造による無限大の可能性を追求し続け、加工の総合企業を目指す。」という企業理念を掲げ、金属の加工を行っております。

資本金は、117600万円で、従業員数は108名です。その中で、福島工場は現在30名で稼働しています。

福島県の取り組みとして、福島工場に関してご説明させていただきます。

福島工場は、福島県石川町に位置しておりまして、今年の3月に創業開始し、敷地面積が約4万平米、延べ床面積が8千平米の工場です。元々製造拠点は福岡のみでしたが、全国をカバーするために東日本に製造拠点を設けることとなりました。福島工場では、太陽光パネルの設置に使用する「支持架台」という金属加工の商品を日々製造しております。

尚、福島工場の調印式、落成記念パーティーにおきましては、お忙しい中、内堀知事をはじめ、石川町の加納町長にご挨拶を頂き、福島の皆様の方々に支えられて本工場がスタートすることができました。

進出の経緯としましては、数年前により東日本に向け進出を検討し、岩手県、宮城県等を視察していたところ、縁あって福島県石川町のご担当者から進出の誘致をお話頂いたのがきっかけです。

福島県が2040年までに県内エネルギーの100%を再生可能エネルギーで生み出すという目標を掲げるなど、再生可能エネルギーに対して未来志向が非常に強いと知ったことも進出の大きな要因となりました。その後も石川町のご担当者が定期的に足を運んでくださり、何かご縁を感じた次第で進出することとなりました。

また、地理的要因も決め手となりました。福島県は、東京・仙台・新潟などへのアクセスが非常に良く、製造拠点として東日本をカバーするにはとても便利な地域です。

最初に誘致を頂いたのが昨年の4月で、創業は今年の3月からでしたので、竣工までわずか11ヶ月でした。これも福島の復興に向け石川町や福島県の皆様が熱心にご尽力いただいたおかげと思っております。福島工場では、太陽光パネルを設置する土台としての支持架台、耐火パネル、太陽光発電システム搭載型のカーポートであるソーラーネオポートを製造しています。

林田アナ(以下、林田と略):3月から動き出して、今どの様に感じておりますか?

石田:東日本の工場を設置する前は、東京と仙台に営業所を出しておりまして、24時間でリサイクル稼働をしておりました。先程30名を雇用していると話ましたけれど、実際は一時雇用含めて70名で稼働している現状で、非常にありがたいです。

 

2. 立命館アジア太平洋大学副学長 学校法人立命館常務理事 今村正治氏

林田:続きまして、今村様からお話を聞かせて伺いたいと思います。大分にありますAPUの副学長として国際交流に尽力されております大学の立場として、福島とどのような取り組みをなさっているかお話をお願いします。

立命館アジア太平洋大学副学長 学校法人立命館常務理事

今村正治

1958年生まれ。1981年立命館大学文学部史学科東洋史専攻卒業。立命館大学学生部学生課長、新大学設置準備事務局新大学設置準備事務室課長、立命館アジア太平洋大学スチューデント・オフィス課長、同大学副事務局長、学校法人立命館財務部長、同総務部長、同総合企画部長を経て、2014年1月より現職。

東日本大震災に際して、立命館総合企画部長(当時)として、災害復興支援室の設置に参加。以来、福島、大船渡、宮古、気仙沼における復興支援活動をサポートしている。

 

今村副学長(以下、今村と略):

私は、大分県別府市の立命館アジア太平洋大学(以下、APU)副学長を今年の1月からしております。それ以前は、京都の立命館学園本部で総合企画部の部長をしておりました。2011年3月11日は、京都で企画部長をしている際に迎えました。

福島との関わりはそこから始まりました。関西の大学でしたので、阪神・淡路大震災を経験した中で、多くの支援を受け、あるいは支援を行ってきた経緯があります。ただ、東日本大震災時は、その被害の甚大さや深刻さに茫然といたしました。こういう状況で大学が無力であるとすれば、大学はそもそもいらないのではないかと思いつめたような状況でした。

その中で何かやろうと災害復興支援室を立ち上げました。偶然、私の大学時代の同級生が岩手県の大船渡におりまして、その同級生を尋ねて大船渡まで行きました。そして被災地を目の当たりにし、より一層この復興支援に取り組もうと思いました。

その後岩手県の大船渡や宮古市で、仮設住宅の共同集会所を、私どもの教授たちと院生(学生)がいっしょに作るというプロジェクトを行いました。また、宮城県の気仙沼市で糸井重里さんがやっておられる「ほぼ日刊イトイ新聞」の気仙沼プロジェクトにも携わりました。木の上に家を作るというハウスツリープロジェクトです。

しかし不思議と福島に縁がなく、何か大事なことを忘れているという思いがずっとありました。その時に、福島県から内堀副知事(現内堀知事)が立命館を訪問されました。「八重の桜」は会津を舞台にした大河ドラマですが、主人公は同志社大学創始者の新島㐮の奥さんですので、副知事という立場で立命館に訪問されました。復興支援をしている学生たちや私たちとお話した中で熱いものが通い合い、「一緒にやりましょう」ということで始まったのが縁です。

ちょうど私がAPUに行くことが決まっておりましたが、昨年の12月に立命館学園全体で福島県との連携協定をしていこうということになりました。立命館学園は、大学は京都と滋賀に立命館大学、大分にAPUがあります。そして、京都と北海道に4つの中学高校があり、小学校は1つという総合学園です。

その後、京都でイベントが開催された後、多くの学生が福島で復興支援活動を行いました。

私は11月からAPUで働いておりますが、京都を離れる際に復興支援室の活動がずっと続いてくれたらなと思っておりました。これまで約900人の学生が復興支援の活動をしているということで、私は誇らしく思っております。

今後は、国際発信ということで、APUがいかに東北の復興支援、福島の風評被害克服の力に貢献できるか考えていきたいと思っています。 

林田:大学が頑張らなければと思っていただくことは、本当に大事です。学生さんの表情は体験することによって変わりましたか?

今村:そうですね。3月11日に東日本大震災があった時、大人たちは茫然自失としておりましたが、翌日から学生たちは募金箱を持って駅に立っていました。それからAPUの学生たちは、民族衣装を着て別府市内を練り歩き、100万円の募金を集めているのです。

これにはやはり胸を打たれましたし、大人は何をやっているのだろうという気持ちを強く持ちました。そのことが復興支援室を作った大きなきっかけだと思います。 

 

3. 別府温泉 あったまる宿 ホテル白菊 代表取締役 西田陽一氏

 林田:次は西田社長にお伺いしたいと思います。大分県別府市で大きな温泉宿を経営されており、大分県のコマーシャルにも出演し観光大使の様な役割もされています。福島との関わりについてお話をお願いいたします。

別府温泉 あったまる宿 ホテル白菊 代表取締役

西田陽一

1961年生まれ。大分県別府市出身。1984年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。旅行代理店勤務を経て1987年、家業であるホテル白菊に入社。1999年代表取締役副社長に就任。2013年より大分県旅館ホテル生活衛生同業組合専務理事。ホテル内で「ずっと忘れないでいこう」という思いを込めた東北復興支援の企画を展開している。

 

西田社長(以下、西田と略):

 別府温泉で宿をさせております。来年創業65周年を迎えるのですが、その65周年を迎えるにあたり「あったまる宿」という名前を付けました。身も心も温泉のように温まっていく宿づくりを目指していこうという思いで付けました。

 大分は「日本一のおんせん県おおいた、味力も満載」というキャッチフレーズを三年前に付けました。官と民が一緒に考えた言葉というところが自慢ですが、ホームページから「おんせん県おおいた」のコマーシャルが見ることができ、私も2つ出演させていただいております。

 おんせん県って言っちゃいましたけん! おんせん県は、パクリなのか?

 

おんせん県って言っちゃいましたけん! おんせん県の、理由とは?

 

別府の地獄蒸し工房の下の足湯で撮影をしたのですが、たったこの二つだけで丸半日かかりました。子どもたちと、上手く間合いが取れないで苦労いたしました。大分県の宣伝ではありませんが、是非一度ご覧いただけたらありがたいなと思います。

福島県との関わりの前に、2011年東日本大震災の支援の話をいたしますと、民間の経営者と別府の若手青年会議所のメンバーと、『別府温泉を東北の南三陸町に届ける』という支援活動を行いました。18トンのタンクローリーに源泉をつめ、丸一日半かけて関西行きのフェリーで神戸まで上がり、そこから陸路で南三陸町まで届けさせていただきました。

6月12日~7月まで計10回「別府温泉あったかプロジェクト」という形で、個人や団体から寄付を頂き、街頭募金もして、東北別府温泉開設ということで総事業費500万円の支援を行いました。被災者の方々から「この日を心待ちにしていた。別府から東北へ来ていただいて、こんなに幸せな気分になったのはいつ以来だろう。」という言葉を頂き、本当に少しでも温もりを届けられればとの思いで、こちらのほうが勇気づけられたようなプロジェクトでした。

福島県との関係は、本日いらっしゃるAPU副学長の今村さんのご縁です。15年前に、APUが開設準備をする際にも、関わらせて頂いたといういきさつもあり、今村副学長からのお声掛けで福島県の支援者の皆さんと共に、またAPUの学生の皆さんと共に何か出来ることはなかろうかと、これから一緒に考えてきたいというところです。

 

 

4. 株式会社concept-village 代表取締役 馬場大治氏

林:次は、馬場さんです。1987年生まれという若いながらもconcept-villageという会社を経営されており、福島の地で魅力を発信しようと、様々な取り組みをされています。特に食について、積極的に活動されているということで、お話をよろしくお願いします。

 

株式会社concept-village代表取締役

馬場大治

1987年生まれ。福島県郡山市出身。上智大学文学部新聞学科卒業。震災を機に東京で勤めていた広告会社を退職し、「福島」と「東京」の架け橋になることをビジョン置く株式会社concept-villageを設立。自身の実家にて長年、農業を営んでいた経験から、広告会社勤務の経験を活かし、農業分野にフォーカスを置き、魅力発信や、課題解決のための企画を立案、運営している。

 

 

馬場代表取締役(以下、馬場と略):

現在27歳で、福島県郡山市出身なので福島がふるさとです。大学から東京に上京したのですが、震災を機にUターンをしてその後起業しました。その背景として実家がずっと農業を営んでおり、一人っ子の長男ということで、祖父と一緒に農業の手伝いをして野菜を朝市等で販売をする経験をしていたということがあります。

震災後の福島に戻って自分自身で何ができるのか考えた中で、色々な方のお話を聞かせていただきました。その中で福島の産業の中でも、農業は自分ごととして考えられるところがあり、農業に特価をした広告会社をしております。

具体的に何をしているかといいますと、「福島に“つながる”弁当」というタイトルで、福島の生産者を集めて、一つ一つのお弁当の形にして、東京で販売をしております。何故お弁当かといえば、福島の野菜は本当に美味しいので、そのことを純粋に伝えたいということ、そして色々な生産者のおいしい素材を詰め込むことができるからです。

もちろんメイン食材は全て福島のものを使用しておりますが、掛け紙にも工夫をしております。掛け紙に生産者のインタビューした内容を掲載することで、実際においしいものを食べていただけるだけではなく、地域の皆さんが繋がっていけるようなお弁当として販売しております。

プロジェクトが始まって一年を迎えましたが、非常に多くのメディアに取り上げていただきました。福島民報さんを始め、毎日新聞さんなど全国紙にも取り上げられております。メディアに取り上げていただけるきっかけになったのは、お弁当のプロジェクト自体が非常に多くの組織が関わっているためです。

例えば弊社が主体となって関わらせていただいている「ふくしま復興塾」は福島大学が事務局となって、逆境の地福島で若い世代を育てていこうという取り組みで、福島出身の起業家の皆様や行政の方々が協力し、人材育成のプロジェクトをしております。特にこちらのプロジェクトに関しては、「キリン絆プロジェクト」ということで、キリンビールさんからもご支援を頂いております。他にもYahoo!さんの「復興デパートメント」というITでものを売っていこうというところで、一緒に関わっていただいています。

こちらのお弁当も、自分自身で行ってきた取り組みだけではなくて、やはり企業、行政、民間が一緒になったからこそ、非常に多くのメディアにも取り上げていただいたと感じています。

過去一年間の中でどの様な行政や企業に購入いただいたかといいますと、首都圏の大手企業さんだけではなく、復興庁、農林水産省、「東北の架け橋プロジェクト」というセブン&アイさんの取り組みで購入いただきました。

お弁当自体の評判がとても良く、それもそのはずで、普通のお弁当は食材原価が2割なのですが、このお弁当は現在4割の原価コストをかけております。それ程に、福島のおいしいものを食べていただきたいという想いも込めておりますので、皆さんおいしく召し上がっていただいています。

今までは、企業や行政の方々からの注文受注制という形態をとっていたのですが、今後は一般販売に踏み切りたいという想いで、「ふくしま復興塾」のつながりや県庁のサポートもあって日本橋ふくしま館「MIDETTE」で販売させて頂いております。こちらは今年、東京の日本橋にオープンした福島のアンテナショップです。また、農林水産省の省内でも販売しております。

わずか一年間で、多くのメディアに取り上げていただき、多くの企業や行政団体の方にも購入いただいているのは、色々な組織が関わってくださったからこそ、掛け算のように効果が拡大したと感じています。

林田:一人っ子、そして長男ということで、Uターンで戻ってこられて活動するということに関しまして、ご家族は何ておっしゃいましたか?

馬場:最初はびっくりしていました。

今は、決断したことは良かったと思っています。私自身福島出身ということもあって東京に憧れがあり、福島に戻るという選択肢はありませんでした。

大きなきっかけとなったのは東日本大震災です。それを機に福島を自分のふるさととして考えることになり、覚悟を持って戻ってきたところがあるので、戻ってきて正解だったと感じております。

※パネルディスカッション【後編】はこちらです。

 

※はじめっぺ直売所では季節に応じて様々な福島県産品を販売しております。

 

 

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