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福島から全国、そして世界へものづくりを伝える ~前編~

2014年12月20日に行われた講演会「地域産業の未来を拓く~会津と新潟の変革の現場から~」の講演会とトークセッションの内容を皆さまにご紹介します。これまで株式会社スノーピークの山井社長による講演の様子を前編・後編でお届けしました。本日更新の記事では、前編・後編に分けて、「福島から全国へ、そして世界へものづくりを伝える」というテーマで講演会第2部のトークセッションの内容を公開します。ぜひ株式会社スノーピーク山井社長の講演会記事(前編・後編)と合わせてご覧ください。

株式会社スノーピーク山井社長の講演会記事 前編

株式会社スノーピーク山井社長の講演会記事 後編

【目次】

■和ウトドアで漆器の新たなスタイルを確立する 株式会社関美工堂代表取締役 関昌邦氏

■ITで会津から摩擦を起こす 株式会社Eyes Japan  代表取締役 山寺純氏

■人と人の縁をつむぎ、商品を生み出す 一般社団法人つむぎや 代表 友廣裕一氏

 

 

和ウトドアで漆器の新たなスタイルを確立する

株式会社関美工堂 代表取締役 関昌邦

1967年生まれ、47歳。会津若松市出身。祖父が創業し、世界で初めて盾の記念品を商品化。1960年創業の会社の3代目社長として、NODATE mugなど会津塗を現代風にアレンジした商品のプロデュースを手掛ける。

 

戦後それまで東京の表彰記念品メーカーに勤めていた祖父が、東京は空襲で危ないことから会津に疎開で戻り、会社を起ち上げました。当時は表彰記念品や楯(たて)というものは存在していませんでした。その中で地元の技術で何か作ろうと、漆(うるし)を塗って蒔絵(まきえ)を描いて作ったのが「楯」という商品でした。

創業当時の盾

世界での楯の発祥は、実は会津です。当社が原点です。

当初は高くて売れず、金属のパーツで鷲や王冠のレリーフを付ける事で量産化し、昭和50年代の一番良い時期は、社員を100人抱えていました。その後、12年前に私が会津に戻ってきた頃には約35人に減っており、5年前に私が社長になってからは約20人です。

楯の原点は、木に会津の漆塗りで蒔絵を描くところから始まり、当社も会津の漆器業界には深く関わってきました。400年以上続く歴史に支えられてきた地域の文化であり産業です。しかし、地元で会津塗を使っている方は殆どおりません。

昭和40年頃からの統計で、バブルの頃まで右肩上がりに伸びてきていますが、この20年で約5分の1に落ちているのが現状です。そんな中、チャレンジしていかなくてはということで、「野に漆」というキャッチコピーでアウトドア漆器を作ったのが4年前です。

NODATE mugという製品ですが、漢字では「野点」と書きます。屋外で楽しむ茶会のことで、昔から日本で形つくられた歴史の一部です。

漆器は、お正月など年に一回めでたい日に利用する以外は、箪笥にずっと入れたままでした。それをアウトドア用にすることで、カジュアルに使えるようにしました。

木は軽くて壊れにくく、漆は約280度まで耐熱性があります硫酸や塩酸をいれても侵されない強さ、抗菌性にも優れ、花見、茶会など古来からアウトドアでの使用にも重宝されてきた歴史があります。NODATE Mugは、それを現代の道具として蘇らせる思いで作ったブランドです。

実際にお客様が、山の頂上で抹茶をたてて楽しんだり、ビールを飲んでいる写真も頂きました。市場では評判が広がり、「BE-PAL」「GO OUT」「ランドネ」などの雑誌から、アウトドアで使える漆器として掲載されるようになりました。

屋外で和のアウトドア、“和ウトドア”を楽しめるようなシーンをつくっていこうと思っています。新しさを常に追求し、変化を生み出していくことが、結果として守らないといけないものを守っていくことだと思っています。

 

 

 

ITで会津から摩擦を起こす。

株式会社Eyes Japan 代表取締役 山寺純

会津大学の通訳翻訳員として活躍後、会津大学の学生たちと1995年に会社を設立。"Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic."(優れたテクノロジーは魔法と区別がつかない)をビジョンに、魔法の様なデジタル・カルチャーを創り出すことを使命としている。鶴ヶ城のCGや八重の桜のCGのモデル制作やFUKUSHIMA Whee等、福島から世界へテクノロジーを発信している。

 

最近では、日本で初めて医療セキュリティHackathon(ハッカソン)を行いました。エンジニアを集めた、医療ITで世界をいかにより良くするかを考える大会です。昨年、アメリカのシリコンバレーで世界77チャプターの優勝チームが集まってプレゼンし、優勝しました。最近では、世界の医療セキュリティをしています。

因みに、皆さんの会社ではミラーボールは置かれていますか。シリコンバレーの素晴らしい会社は大抵ミラーボールを置いてありますので、ぜひ皆さんもミラーボールを会社に取り入れてみてください。

会津におりますので、六本木ヒルズ的な幸せは得られないのですが、地元にある資産ということで、コンピューターを外に持っていってプログラムを書いたり、檜原湖(ひばらこ)の上でエクストリーム・アイロニングという、アウトドアでアイロンをかけるという世界的なスポーツをしています。

他にも、社長サンドバックシステムというものがあります。私の顔が書いてあるサンドバッグで、私の顔を殴るとうめき声がするものです。私は、3分の1は会津、3分の1は東京・神戸、残り3分の1は海外と殆ど会社におりませんので、“ROBODERA”を通じて社内に存在しています。

地方の良いところとして、温泉やスキー場があるので、楽しみながら仕事をしています。遊んでいるだけだと思われないように、脳波計をとって定量化し、サイエンスの領域で楽しみつつ仕事をしています。

今、 復興の一事業ということで、FUKUSHIMA Wheelという事業をしています。自転車が作られてからちょうど今年で200年です。ドイツでカールさんという人が作ったのが自転車の原型です。200年間、自転車に大きなイノベーションはありませんでしたので、そこにイノベーションを起こしたいなというのがそもそもの原点です。

きっかけは震災で、9割ぐらい減った観光客をどの様に呼び戻すかと考えた時に、この事業を考えました。自転車にスマ―トフォンをつけて、ナビとして使い、位置確認をしたり、カロリー消費量を確認したりできます。 

それ以外にも、都心においての代替の交通手段として考えております。山手線の中は電車を乗るより、自転車で行った方が早いところもありますし、2020年の東京オリンピックも見据え事業展開しております。震災の時に帰宅難民の方もおられましたが、自転車が広まっていくとそうした方が減るのではないかと考えています。

レンタル自転車、自転車を作って貸したお金しか売り上げとして無い為、あまり儲かりません。私たちは車輪に、位置情報と時間を元に車輪に広告を出せるしかけを作りました。アメリカの会社と一緒に特許をとったのですが、ここでGoogleと同じようなビジネスの仕組みを作りました。夜の自転車は見えにくいのですが、我々の自転車は明るいので、事故防止にも役立ちます。

最後にセンサーについてですが、最終的にはハンドルの中に組み込もうと思っています。走ると放射線や湿度や気温などが分かる仕組みです。例えば、北京を走ったらPM2.5などが気になります。自転車で走るだけで今年のデータがマーキングされます。放射線に関しまして測定してみたところ、会津が0.1マイクロシーベルトに対して、ヘルシンキでは0.24でしたので、走ってみないとわからないなと思いました。

他にも、さまざまな都市の問題を解決するようなプロジェクトを行っています。現在は、東京オリンピックのオフィシャルスポンサーさん一社と、フランスの通信会社であるオレンジテレコムさんの支援事業をうけて、フランスのパリで展開出来ないかというお話をいただいています。

自転車ですべての交通渋滞を解決できるとは思わないのですが、毎年1億3000万台の新しい自転車がつくられていますので、もう少し細工を重ねていけたら良いと思っています。

ITの会社なのになぜ自転車をしているのか疑問に思われる方は、Mark Andreessenの『WHY SOFTWARE IS EATING THE WORLD』という、どの様にソフトウエアが生活を変えていくかについての論文がありますので、是非それを読んで頂きたいと思います。

会社に関しまして、今までサウス・バイ・サウスウエストに2回出場し、東京・アメリカの方に2回出場しています。メキシコのディスカバリ―チャンネルに紹介されたりもしています。

チームとしては、3つの要素「Hackers」,「Hustlers 」,「Hipsters」が必要だと言われています。

 「Hipsters」というのは、デザイナーです。去年Hackathonで優勝したものがおります。「Hackers」はプログラマーですが、ロシアの大会で9位になったものがおります。「Hustlers」は私の様に、会社を紹介していく人です。私は1995年から行っております。また、復興庁さんの支援事業を受けて、国際的なNPOさんと事業も行っております。

今日の話のポイントとしましては、地方にいると基本的に何も起きないので、自分から色々なところに行くことで摩擦が生まれ、どのように摩擦係数を増やすのかというのが大事なことかなと思います。

 

 

人と人の縁をつむぎ、商品を生み出す。

一般社団法人つむぎや 代表 友廣裕一

大学卒業後、全国70以上の農山漁村を訪ね、現地の暮らしや仕事経験。その縁により、震災直後の3月17日から宮城県入りし、支援活動を行う。その後、沿岸地域へのボランティアコーディネートを行ったのち、2011年に一般社団法人を設立し、牡鹿半島で手仕事からはじまる生業づくりに特化した事業を始める。

 

活動拠点は宮城県の石巻市です。私は元々、日本中の農村や漁村を回りながら泊めてもらい、フリーランスとして、そこで出会った人たちと仕事を作る活動をしていました。その後震災が起きて、東北で大変お世話になった方がおりましたので、3月17日には宮城県の石巻に入りました。ずっと避難所の状況把握をしていたのですが、その中で被災されたお母さんが仕事がなく、何かできないかと相談をもらうことがありました。

商品を作るお母さんたち

牡鹿半島には、その名の通り鹿がたくさんいます。走っていると、半島の先まで20頭ぐらい遭遇することがあります。鹿の角を輪切りして磨き、漁師さんが使う網の補修の糸を巻き、地元の素材だけでアクセサリーを作りました。もともと牡蠣の養殖(牡蠣剥き)をしていたお母さんたちの仕事がなくなり、代わりになる仕事を探していました。地元の素材を使って商品を作り、作ったお母さんが屋号のスタンプを押して販売しています。

ネックレスは定価2,800円で、売れたら作った人に1,000円入るというモデルで、色々な方に仕事をしていただいています。世界でも売れていますが全国に60店舗ぐらい販売させていただき、本日のスピーカーである関さんのお店でも販売させてもらっています。

OCICA 商品サイト

震災後に新しくものづくりし始めた人たちともつながりました。元々東北には良いものづくりをしている方が多くいらっしゃいますが、手仕事文化が壁にぶち当たっているというところがありましたので、例えば商業施設をされている方や、使う人たちと一緒に何か商品を生み出していけないか実験しております。

また、ショップインショップとして、色々な商業施設(伊勢丹さん、ルミネさんなど)で売り場をつくりながら、更に一緒に商品を提案するような場にまわっていただいたりすることを、「TOHOK」というブランド名でさせていただいております。

IIE の谷津君と一緒に、会津木綿の特性を活かした商品が出来ないかということで、ご祝儀袋を作りました。先月からIIEの商品として発売しておりまして、私は企画やディレクションの立場で入らせてもらっています。ご祝儀袋はもらっても捨てないといけないというのが、自分の経験から苦しく感じておりました。お祝いの気持ちを届けて、もらった人はそれを捨てずに布として使えるという商品を作らせていただきました。

 

トークセッション【後編】は明日更新予定。

 

※はじめっぺ直売所では季節に応じて様々な福島県産品を販売しております。

 

※新着情報は、はじめっぺfacebookページにて随時流しますので、ご関心のある方は、ぜひ「いいね」をお願いします。

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